2011年1月19日水曜日

1.5

さて、中国本土はこのgoogleが提供するbloggerはアクセスできなかったので、ベトナムに抜けた今、やっとブログを再開できます。
ただ今は、ベトナム人たちと、偶発的な飲み会を終えたばかりで、目の焦点が定まらないくらいに酔っています。

遡ること2週間、僕はまだ香港で正月気分でした。この日は何をしていたのか、思い出しながら書きます。ちなみに香港では、太陽暦でいう新年も結構盛り上がるですが、やっぱり、中国本土と同じく、旧正月がメインみたいです。


さて、僕は元旦にkorean airでサンフランシスコから香港へ飛んだのですが、
出発当日、Korean Airの要求で、香港から第三国への出国チケットをとらないと飛ばせられないと言われ、1.16香港‐マニラの片道チケットを、アメリカ出国前に空港で強制的に買わされました。

普通の旅行では、たいてい往復のチケットを買う、あるいは旅程が全て決まっていることが多いので、あまりないことですが、個人で片道の航空券を購入した場合、渡航先の次に訪問する国を決めて、飛出国予定の証明がないと、飛ばせてもらえないことがたまにあります。

航空会社は、チケットを発行した個人が、目的地の国に入国まで確実に送り届ける責任があるので、そういわれると買わざるをえません。僕が、万が一香港に入国できなかった場合、困るのはKorean Airだからです。

もちろん、マニラに行くつもりはないので香港でキャンセルして、refund(払い戻し)を受けるわけです。

日本にいたときはこういうことは全く知りませんでしたが、最近はすんなり理解できます。

というわけで、朝からkorean Airのオフィスへ。
officeを見つけるのに難儀しましたが、カウンターのお姉ちゃんは英語がうまく順調にすすみました。
キャンセル料は30ドル(2500円)でした。

しょうがないですが、損した気分です。


気を取り直して、街を歩きます。
香港という国は、香港島を含む250近くの島々と大陸側(中国本土と接している)の半島を含んだ地域。
ほとんどの旅行者が、僕同じように半島側の九龍に宿をとるようです。

香港島はビジネス地区で、大陸側からその姿を一望できます。

チョンキンマンションがある、九龍地区からはAvenue of Starsという、展望のいい通りがあるので行ってみました。

中国本土もそうなのだが、空気がかすんでいることが多い。
晴れればきれいに見えるのではなく、逆に光が散乱して見えなくなったりする。


それでも、かなりいかつい。


香港は地図いらず。
Avenue of Starsより。

昼の香港島

中国人観光客でいっぱい。

夕方。

この日は水曜日で、香港の博物館が無料になる。
無料と聞いてじっとしていられないのが、貧乏旅の悲しい性。

重慶マンションの裏手、チムシャーチーにある科学博物館と、香港歴史博物館に行った。

両者は、英語を読もうとする気合さえあれば、、何時間でもすごせそうなほどに規模が大きい。

特に歴史博物館は、香港の古代の歴史から、近代現代、民族の文化など、盛りだくさんで飽きなかった。

香港に古くから住んでいた、水上の民族Hoklo人の結婚式では
新郎が新婦を龍を模ったDragon Boatで迎えに行く儀式があったらしい。
今でも陸上でのDragon Danceとして残っている。
獅子舞に酷似。

長州島の奇才、饅頭を何万個も飾った塔に登って、
包(パオ)を奪い合う祭りがあるらしい。
これ全部饅頭。


そして香港の現代史を語れば、必ず日本が登場する。

アヘン戦争からずっとイギリスの植民地であった香港が、日本の領土になった時期があったというのは歴史の授業で学んだことではあるが、僕の中では恥ずかしながら、そういえばそうだな程度の認識だった。

そういう無知は、旅するものとして恥ずべきものだ。
英国領マレー半島を攻撃して英国にも宣戦布告した日本は、香港を奪った。
その占領時代は、三年零八個月として、深く香港の記憶に残っている。
occupationって占領って意味もあるんや。


日本のコーナーは、なぜかやたら混雑していた。
イギリスの占領から解放されたのは、1997年とごく最近のことで日本による占領よりよっぽど長いのだけれど、アヘン戦争を除いてはそんなに英国に対するマイナスのイメージは伝わってこなかった。

それに対して日本占領時代は、香港の人たちにとって、暗い時代だったと強く伝える内容だった。
そのコーナーにいるときは、非常に肩身が狭い気がして、変な汗をかいた。

日本の言葉を現地人に教育する皇民化や、紙幣も日本の軍票を強制的に使わせたこと。
インフレによって、物価は高騰して多くの人が飢餓で亡くなったらしい。

こういうことは歴史上の事実で、今の自分たちには関係ないとは言うのは間違いだと思う。

香港の占領にも、南京の虐殺にも、僕たちは関係がある。

たとえば、多くのアジアの人々は日本に憧れていて、旅をしているとそれによっていい思いをすることがたくさんある。

日本人はいいやつだ。日本は経済が発展したすごい国だと言われる。
実際、現地人に何人だと聞かれたとき、日本人だと言うとき、どこか誇らしい自分がいる。

だがその日本がもつ高い評価も、何も自分個人には関係がないのだ。

ただそういう恩恵を受けている限り、日本の負の部分も背負っていかなければ嘘になる。

明治以降、植民地にならずに立派に発展できたこと。
軍国主義になってしまい他国を侵略してアジアで、ひどいことをしたこと。
それらは表裏一体で、歴史を振り返ってみれば、日本に誇るべきところもあれば、恥ずべきところもある。
全てを含めて日本人なのだ。

こういうことを知らないと、現地では大変な粗相が待っている。

今、日本の若者には、変な感性偏重がはびこっている気がする。
感じる心とか個性があれば、オールオッケー、大事のは心なんだよ、みたいな。
ドラマとかの影響だろうか。

知がなければ、感性みたいなもんは議論にあがってこない。
「知は愛。愛は知。」と日本が誇る大哲学者、西田幾多郎は言ったらしい。

知ることは相手を愛することだ。

そしていまだ自分には知が足りない。

軍隊手帳。

日本語教育を推し進めるポスター。

さて、見物に4時間を要した博物館を出たあと、サンフランシスコで出会ったサニーさんの友達、モニカとご飯に行くことになっていた。
facebookでやりとりしながら待ち合わせ時間を決めた。

僕は、きったない屋台の料理や、人があんまりだねという料理でさえ、
心の底からうまいと思ってしまうような舌を持っているので、グルメのことを書くのが苦手である。
だからあんまり料理のことは書いたことはないが、香港の料理は格別にうまい。

世界中から色んな人種が集まるので各国の料理があるし、中国本土からの選りすぐりで中華料理は香港がNo.1っていう噂もあるくらいだ。

香港島に、地下鉄で向かって待ち合わせして、causeway bayのレストランに入った。
もうはちゃめちゃにうまかった。

現地の人と話すのはおもしろい。英語の練習にもなるし。
昔、日本人の彼氏がいたらしく、日本語がうまい。
香港は国際的な人が多いなぁー。

ビールもたらふく飲んで、酔っ払いました。

仕事が忙しい中、時間を割いてくれてありがとうございました。
とっても気を遣ってくれるモニカと、うますぎるご飯。
アサヒビール最高。

帰りはスターフェリーに初めて乗船。
スターフェリーとは、香港島と、九龍地区を5分くらいでつなぐ船です。
運賃は2.2香港ドル(22円くらい)と安いです。

スターフェリーからは、夜景がすさまじいです。

この旅で、いろんな夜景を見てきましたが、派手さではここ香港が圧倒的です。
実際100万ドルくらいかかってそうな、光の量。
去年5月に訪れた上海でもそうですが、中国人はこういう派手なイルミネーションが好きなんでしょうな。

香港島発のスターフェリーから、
振り返るビジネス街の夜景。

いかつい。

露出下げた。

九龍側にある、シンボル、時計台。

香港、長居してまうなーこれ。

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