ソウル経由で香港に着いたのは1月2日の午後22時。
とりあえず、何回目かわからないぐらい繰り返してきた空港の床に
薄い銀マットと寝袋で眠りに着いた僕は、
朝起きると、いつもどおり白い目で見られていたので、ホテルのチェックインが始まる10時くらいまで待って街に繰り出すことに。
荷物が笑えるくらいに重い。
日本から差し入れてもらった本は20冊。
それにかさばるギターがとどめをさしている笑
僕が知っていたのはネーザン通りという長い繁華街の通りがあることと、
その通り沿いにあるという、重慶マンションという安宿がたくさん入っているという
建物だった。
空港で案内係に聞くと、「A21エアバスに乗るといいアルねー」
と英語で教えてくれた。
当たり前だけれど、香港は英語がかなり通じるみたいで安心した。
香港ドルをATMで降ろして、チケットを購入して英国領だった名残りなのか、
派手な広告をつけたダブルデッキのバスに乗る。ガラガラだった。
「重慶マンションに行きますか」と聞くと
運転手が「行くアルヨー」と広東語で言った気がしたので安心した。
旅行本なしで、電脳でも調べずの街に、適度な無知をまとった人間が入っていくとき、
いつも静かな驚きの連続で、それが楽しい。
ここでは広東語が話されていることですら、
車内の客が話す言葉で僕が知っている中国語と違うこと、
またシェイシェイと僕が言ったときの反応がいまいちだったことでなんとなく気づく。
バスは、整備された高速を通るがその脇には
中国らしい特徴のある、斜面の急な切り立った山が見える。
こういう景色は、ほかのどこでも見なかった。
島をつなぐ橋をバスが渡り、あれ、香港って島なのかと驚く。
あまり晴れていないのに、海が緑に光っていて見入る。
バスは九龍というサインに従って経路を選んでいくので僕の目的地はどうやらそっち方面らしい。
高速を降りると急に景色が変わり、派手なサインと通りを歩く人波が
目に飛び込んでくる。
これぞ香港といってもいい景色。
どうやら、ネーザンロードに入ったみたいだった。
横にも縦にも巨大なバスが、
左は道路の縁石ギリギリに、
頭上は競うように並ぶ看板のスレスレをかすめてバスは通っていく。
街にあふれる漢字は目に優しく、
歩いていく人たちは、
日本人に限りなく近い、亜細亜人の顔をしている。
欧米に憧れ、マナーの悪い中国人を軽蔑するのが、日本人の傾向だが、
何を言おうとも、僕たちのルーツはここアジアにある。
ついにアジアに帰ってきたんだと、実感して、
日本がぐっと近くなったことに嬉しくなった。
そういう物思いに浸る間もなく、重慶マンションの近くのバス停に着いた。
バスを降り、僕の足が地面へ踏み出す前に、
僕を待っていたかのごとくインド人のホテルの客引きが現れた。
「ゲストハウス?」と聞いてくる。
重慶マンションに行きたいと告げるとついてこいという。
どこでもそうだが、値段を聞いても、部屋を見てからという客引きはわりと多い。
とりあえず宿に招き、部屋の設備を見せて値段を公表するほうが、
ゲストが自分で探し直す可能性が低くなるからだ。
こういう場合は部屋のクオリティはけっこう高い場合は確かに多い。
自分でもマンションの場所がまずわからないので、とりあえず一旦付いていくかと思ったが、
彼が入っていったのが看板もないあまりに雑多な汚い建物だったので、
どうするか迷った瞬間、金正日似の中国人が横から一人現れた。
客引きに才能があるとすれば、そいつは議論にならないくらい人相が悪かった。
正日はこっちにこいと僕の腕を引っ張ってきた。
別に客引きならば、ついていくのは誰でもよかったが、
そいつは善良そうなインド人に対する悪口を言ったので、腹が立った。
僕はそいつから逃げる意味でもインド人についていこうとした。
ヤツはヘタクソな英語で、何か言っているがぜんぜん聞き取れない。
わかったのは顔からの想像を超えるくらいしつこい、ということぐらいだった。
インド人の宿に通じるエレベーターの前で待つときもまだまとわり付いてくるので
値段を聞いてやると1500円だと言う。
もう少し安い宿は必ずあることはわかっていたが、
香港の物価ではシングルとしては高くはないはずだ。
でも、お前に払うかという意味をこめて、
「高すぎる。」と一蹴すると、
正日は突如、ブチギレた。
重い荷物を背負う僕を両手で押して、「このマンションから出ていけ!!!」
依然何を言っているのかわからなかったのだが、そう言ったようだった。
なぜそんなことを言われないといけないのか笑
ときどきfuckという汚い言葉が聞こえた。
彼の英語が流暢だったら、僕も我慢できなかったかもしれない。
おそらく、取り返しのつかないような根源的な侮辱を口にしている。
そういう気配が漂っていたからだ。
エレベーターへの進路を通せんぼする正日に向かって辛うじて笑って、
キチガイかお前はと吐き捨てた。
周囲は騒然となっていた。
振り返るとやはりさすがインド人は、ビックリした様子はなかった。
エレベーターに乗り込んだ僕とインド人と数人の香港人は閉ボタンを押した。
正日はまだこちらに何か言っていて、
閉まるドアを確認すると、外側からボタンを押してもう一度ドアを開け、
何だと僕が言うと、決め台詞のように、
「バカヤロウ」と僕に向かって言った。
「バカヤロウ」と僕に向かって言った。
ポケットに突っ込んで放ったその言葉が、
北野武の影響であることは明らかだった。
その瞬間だけ正日は少しかわいかったw
もう一度閉ボタンを押すと、彼はもうドアを開けてこず、
やっとエレベーターは上昇を始めたのだが、
加速度のせいと、一連の出来事のせいで重い荷物が、さらに一層ずっしりと感じた。
インド人の宿もシングルのみ、1500円だったので早々と断って退散した。
僕は、自分でこの建物が重慶マンションだと確認し直し、
一番込み合っているA座のエレベーターの一番上へ上り、片っ端から値段を聞いていくことにした。
15階も高かったので、階段で16階へあがると、
Traveller's Hostelという生活感にあふれたホステルに行き着き、
聞くとドミトリーがあり、600円だというので、ここはかなり安い方だと思ってチェックイン。
この日の僕は勘がよかった。
泊まっているのはどこだと聞いてくる一階の客引きたちは皆、
ここのドミだと答えると、そうかと言って引き下がるような、
最安値の宿だったことを後で知った。
ああ、疲れたー。
一息ついて、洗濯したあと街に繰り出した。
香港は想像以上の大都市だった。
このことも文章にすると記事長くなりすぎそうなので、
街のことはまた別で書こう。
6日間もここに滞在したのだから。
僕は安いタン麺を食べて、スーパーや市場に行って買い物をすませた。
街歩きは楽しかった。
少し波乱があったが、香港の町に降り立った僕は興奮していた。
徐々に長旅で磨り減ってきていた好奇心が、
香港に着陸した衝撃で新しく穿たれた間隙から
湧き出してくるみたいだった。
日本から飛んでも比較的安いという香港、
多くのバックパッカーがここを始点に旅を始めるらしい。
新年が始まったせいもあって、
自分の旅の章を次に進めたような気がした一日だった。
ネーザンロード。 |
重慶マンションを前から見た図。 金色の字の見えるところが、メインの入り口だと後で知った。 |
見上げた図。 |
ふらついてる間にたどり着いた市場。 |
このように日本語の広告は随所に見られます。 |
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