2011年1月9日日曜日

1.4

九龍の朝は、重慶マンションの最上階で地上のはるか上、
16階の10人部屋でどっぷり寝ている僕を、起こすほどに騒がしい。

今日の予定はとくになかったのだが、おきだす。
同じ部屋に日本人けいすけさんがいることがわかり、色々話を聞いた。

香港では最近始まったワーキングホリデービザで長期滞在している人だった。
彼の力が抜けた会話が楽しくて、仲良くなった。

ここのホステルはほとんどが長期滞在者らしく、お互いに知り合い。
あらゆる国から集まった人たちは
CNNニュースを見ながら、世界に起こる事件をああだこうだと深刻そうに議論していたが、
正月の休暇をゆっくり過ごしているような感じだった。

実はほとんどトラベラーはいないという噂のトラベラーズホステル。
英語を教えながらアジアの都市を点々とする
けっこう年配の白人も多い。

このホステルのオーナーは薄いひげが上着のチャックに挟まるんじゃないかと心配になるくらいに福毛を伸ばし、
話しかけると、「ああぁん!?」と非常に大きな声反応するが、別段怒っているわけではないらしいおじいちゃんだった。
家族経営だという。


あるときけいすけさんと二人で話していると、
同じく長期滞在者らしいドイツ人が現れてオーナーに話しかける。
彼の表情はとても沈んでいて、言う。

「ハッピーがキッチンでまた問題を起こした。」

オーナーがキッチンに向かったあとしばらくして、すさまじい剣幕の口ゲンカが聞こえてきた。
オーナーとハッピーという女性の一騎打ちだ。

香港の人は、中国語の名前の他に、
英語の名も持つことが多い。これは自分で勝手に名乗れるらしい。
ハッピーというめでたい名前を冠した彼女は、この宿で問題児であり、
他の滞在者から、あいつはアンハッピーだ、という冗談を囁かれているんだということは想像に容易い。

けいすけさんがドイツ人に事の顛末を尋ねると説明してくれた。

ひと言でまとめると、ドイツ人青年がハッピーという女性に
ゆでたてのうどん麺を投げられたと、言いがかりをつけられて、
警察に通報しようとしているらしかった。

ケンカの横で、
「俺はうどんの麺なんて投げてないんだ」と言うドイツ人に、
「わかってるよ」と慰めるけいすけさん。
必死に深刻な顔を作る僕でしばらく話していた。
決して笑ってはいけない。

長期滞在のおばちゃん、ハッピーはそのドイツ人に恋に落ちて、
何がきっかけか、しだいに攻撃な態度をとるようになったのだという。
結局、オーナーのおっちゃんに言い負かされたのか、ハッピーはどこかへ行った。

この宿は、こんな調子で変な人間模様が色々あってそれがおもしろかった。

宿もおもしろいし、重慶マンション自体が面白い。
世界の全部の国籍が集まりそうなくらい、ここに行けばたくさんの人種に出会える。

エレベーターで僕の代わりに16のスイッチを押してくれた善きソマリア人(言いたいだけ)。
ターバングルグルひげもじゃのシーク教徒、
日本人が見たら誰もがタリバンやんとツッコむような白い装束を着た、ムスリムの人たち。
旅行者に「いいニセモノ」を売ろうとする客引きアラブ人。
もう人種の判別がつかないほど化粧をしたはでなおばちゃん。

などなどだ。

知覚にあるモスク。
イスラム教徒移民も多いみたいだ。

僕はそのごちゃまぜの人種と、うるさい客引きたちをかわしながら香港の町に飛び出した。

ここ最近曇りが続いているようで、空気は霞んでいて、
ビルの間を抜けていく海沿いの街特有の風が、なんとなく重く感じられる。

16階で聞いていた街の音は、
地上へ出て聞くと、さらに大きく、具体的に聞こえる。

通りを流れていく、色んな表情をした人々の足音と、無表情なバスや車の音。
信号が青の間、立てる騒がしい音。
露店で肉を焼く音。

香港についてしばらく痴話喧嘩なのか世間話なのか判別が難しい、年配現地人の世間話。
一本外れの通りで起こっている、
慢性末期の渋滞に苛立って鳴らされる、クラクション。

電光看板の映像から流れる音楽。
もうええやろと言いたくなる、また新たなビルの建設騒音。

別々の音が、一つになって奏でる街の音が耳にあたり、思考がかき消される。
街の中に自分がとけていくような気持ちになる。

人の多さに辟易しながら、あてなく歩くうちに、もっと頭と体がボーっしてきて、
自分もこの通りを忙しく往来する無数の顔の一つになる。

そうすると、体も心もフラットになって、
暑いとか、長距離を歩くのがしんどいとかいう身体性の煩わしさや雑念から解放されて、
ただの鈍い知覚の塊となって、街を漂う。

知覚の僕が、歩調に合わせてわずかに上下に動き、ゆっくりと前へ進んでいるみたいな不思議な感覚に襲われる。

信号待ちする人たち。

ちょっと離れて見た九龍のビル群。

サイン天国。


高層ビルが立ち並ぶネーザン通りでは、
九龍の空は首を完全に90度反らせないと見ることができない。
後ろから体当たりを受けてしまうため端によけて真上を見上げる。

カラフルすぎるサインに疲れた目を上へ向けると、そこはモノクロの世界だった。
この日は乾いた色のビル群と、うすい灰色でベタ塗りしたような空。
高く飛ぶ黒い鳥も、その印象を強くした。

notモノクロ写真。
真ん中近くに鳥が2羽。

香港の車は歩行者に容赦がない。
左折の際なんて、僕ら歩行者を蹴散らすように進んでくる。

そんな乱暴で無表情な車や、視界をさえぎる高いビルに邪魔にならないように、
申し訳なさそうに、歩行者は歩いていく。
空から見下ろすあの鳥にはそう映るんじゃないだろうか。

太古の昔、何もなかった地面から、
ある日突然、ニョキニョキと空高くビルが生えてきた。

光を求めて、枝を伸ばす植物よろしく、
少しでも見えるようにと、道に看板や広告の触手を茂らせていった。

資本主義というものが生まれて、車が住み着いた。
そしてその後遅れて人間が現れたと、
ビルと車を避けながら歩く哀れな我々を見て
飛ぶ鳥は勘違いしているかもしれない。

「まずはじめに資本主義があった。」
聖書にはそう書いてあると勘違いしているかもしれない。

巨大な消費の力に支えられて、
香港の経済はとどまることを知らないのだろうな。

香港はこんなにも大都会でありながら、依然庶民の町であり続ける町だ。

メイン通りから外れると、暇をもてあました現地人がマージャンしていたり、市場があったり、
生の人間がうごめいている。

ワクワクしてしまう夜のマーケット。

これはまた後で書こっと。

とにかく香港はおもしろい。

1 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

聖☆お兄さん最新刊は12月24日というとてもタイミングのいい発売日でした。

コメントを投稿