2011年1月24日月曜日

12.16

アメリカ編、忘れてた!!!^^


朝起きて、日本刀で朝食用のフロリダ名産オレンジを切り落とすことから始まった。
日本刀でオレンジを切るギル。
オレンジを空中で切る練習をした。初めてちゃんと切れる刀を振った。
僕の先祖は侍だったんだろうか。文官だったかもしれない。どうでもええわ。

起きてすぐなのに、朝食を食べながら、日本の武士道がどうとか、日米関係や戦争のことの議論になる。アメリカ人は議論好きだ。
彼は剣道から、居合道とかたくさん武術を習っていて、日本人よりよっぽど、日本の文化を大事にしているような変なガイジンである。
彼に聞かれる。武士道はまだ日本人の中にあるか?
そんな言われても困るなぁ。と思いながらも、ちゃんと考えて答える。
武士道はまだあると僕は思っている。日本人が何かに対して一途であることを、至上の美学にしていると思うからだ。アメリカ人は日本人的に見ればちゃらいやつが多い。
武士道がなければ、日本は多分鎖国を解いてまもなくロシアに勝てなかっただろうし、戦後もこんなに豊かにならなかったと思う。
日本人の、ひたむきさや一途さ、そしてそれを評価する風潮が、もはや異常なレベルなんじゃないかと思うわけだ。
例えば高校の運動部とかだと、部活掛け持ちしてるとか言われると、なんか非常に不遜に思えてくるとか、そういうレベルですら、部活への忠誠って言ってもおおげさじゃない概念がある。
多分武士じゃなくても、武士道は実践できるし、見た目は少しなよなよしてても、そういう生き方はできる、と思う。
そんなことを言った。
ギルは、そうは思ってないようだった。
彼は僕も読んだ事のない貝原益軒「養生訓」の英語版を読んでいたくらい、日本が大好きだ。
またギルが来日したとき、太宰治の「人間失格」をどう思うか、日本の‘文学部’の大学生に聞いたとき「嫌いーなんか暗すぎるし」と言われ衝撃だったらしい。まあその人たちが本当に読んだことあったのかもわからないが。
現代小説は映画みたいで、次々と場面が変わる、展開が速い語り方は確かに目を喜ばすけれど、どこか深みがなかったりする。
得体の知れない、人の狂気とか危うさがテーマになる小説は確かに暗い。でも、何かもっと、人間の存在の基本的な、もっと核心の部分に触れんと試みる、自分よりもメタな何かを表現する、そんな小説が、芸術なんじゃないか。
それにたいして現代小説は言うなればエンターテイメント、人を楽しませるためのデザインなのだという結論になった。
芸術とデザインは違うのと同じかなぁ。まあよくわからん。とにかく「Japanese young guys are no more deep.」っていうことになって悔しかった。
朝からこんなことを話すのは、僕ら暇人だけだろう。
あともうひとつ。戦争のことをうまく英語で話せない。
軽率なことは言えないからだ。
戦時中のことや日本が軍国主義をひた走っていく時代やその前の話を、何度も本で読んだり、学んだりしてるつもりなのだが、やっぱりなかなか想像と知識がおいつかない。
でもちゃんと議論できるようになりたいな。
ただ戦争反対とか言うんじゃなくて、実際起こったことを認めて分析したい。
日本は当時ファシズム一直線で、アジアでは滅茶苦茶ひどいことをしてきたのは周知の通りで、もはや弁解のしようがない。ただ日本という国が道を自ら踏み外すか、また列強国の支配によって道から外されるか、そのどっちかしかなかったんじゃないかとも思う。
大東亜共栄圏って言葉は確かに、戦争を民族の戦いにするための強引なプロパガンダだったんだろうけれど、次々とヨーロッパの列強の手中に落ち、いいようにされてきたアジア諸国にとって、極東に生まれたアジア唯一の強国は、ホープだったことも事実だろう。
アメリカに対して、法規にほぼのって行った戦争の結果、全てあっちが正しいみたいなことになったのは、単に戦争に勝ったからじゃなかろうか。
日本兵は天皇のために、命を捧げて戦い続けた。日本兵は粘り強くて勇敢だったらしい。そういう日本を原爆以外の方法で止めるとしたらどうする?とギルに聞かれた。
いや原爆を落とさなくても、そもそも日本の本土を空爆してたくさん一般人を殺したんだろう。合法的に人を殺せる政治、戦争の範疇は、兵士同士のみであるはずなのに。
純粋にアメリカと日本でどっちが悪いか、難しいところだと思う。
(結構日本のこと棚にあげてるかも。)
でも敗戦国のみが裁かれ、日本の戦犯のみが処刑された。
けれど奴らは未だに首相の靖国参拝がどうだ、などと口を出してくる。戦犯の人たちだって、日本の国のために頑張ったんだから、それが僕らの先祖信仰なのだから、敬意を表して何が悪い。
世界各地の駐留から帰ってきた軍人を空港のロビーで拍手で迎えるのをひたすら繰り返す市民集団をついこの間も見た。そうう駐留軍は僕の認識が間違ってなければ、多くの国で逆に平和をおびやかしていきた。
今のところ歴史は、勝てば正義、としか教えてくれない気がする。
もし日本が軍国主義にならず、植民地になったとして、その結果どんなに愛すべき国の民族の文化や自立が失われてしまうか。
まわってきた世界を見て強くそう思った。日本が植民地にならなくてよかったって。でも常に支配してきた側の白人たちは鈍すぎて、そのことも想像できないんじゃないか。
もちろん韓国や香港で、日本もそういうことをしてきたのだが。

ついついアツくなってしまった。眠たくてよくわからなくなってきた上に、書いてるうちにアメリカが嫌いになってくるのでやめよう。
自省のない文章で、非常に未熟なことを書いている気がする。読んで不愉快になる方がいるかもしれない。旅の記録なのです。
はっきり言って僕はアメリカが好きじゃないが、ギルや他のアメリカン友達は大好きなのだ。

昼から行動開始。ギルの友達のボビーの家に行く。
ボビーの家はフロリダのジャングルの中にある馬鹿でかいロッジ風家屋で、ボビーはその横に泊めてあるこれまた巨大なキャンピングカーで一人暮らしをしている。
ヤギやターキー、にわとり、羊や犬をたくさん飼っている。
そいつらがめちゃくちゃかわいい。
はじめてみたターキー。

ギルとヤギ。

ヤギ君。

カメ君。
バナナが好物。
日本だったらふれあいなんとかっていうイベントで入場料とれるぞ。
大変な金持ちかつアウトドア好きみたいだ。聞くと両親のどっちかが医者だということだった。医者になると儲かるよーと言われたが、日本でかなりの金持ちになってもこんな自然に囲まれた素敵な邸宅はまず手に入らないだろう。
敷地の大きさが違う。
庭の先には近くには大きめの川が流れていて、そこにカヌーを数隻持っている。夏にはワニが川に出るらしい。
カヌーに乗って川を下った。
当たり前のように、川へボートで出る。

そういえば、フロリダで曇りの日を見たことがない気がする。
いつも空は高く晴れている。川岸は背の高い木の森になっていて、水は冷たく透き通っていた。夕方になるにつれて西日がまぶしかった。昨日も見た、フロリダのオレンジみたいに、濃い橙色の夕日。
こんなに身近にアウトドアがあるなんて羨ましいなぁ。
ボビーは馬鹿話をしながら、ときどき真剣に鳥や魚の名前や習性を教えてくれた。
自然に関する教養があればとずっと思っていたけど、そういうのは身近にないとなかなか学べない。
あとは外で射的とかもした。

帰ってから、深夜にブレネンの家の裏のこれまた湖畔でギルと三人で焚き火を囲んで楽器を弾いて遊んだ。家の裏の湖畔て。
オーランド自体は、そんな田舎じゃないのに、こういう自然が残るのはうらやましいなぁー。
家の裏に、湖や川、森があったらどんなにいいだろうと思う。
アメリカ人のおおらかさはこういうところにあるのかもしれない。
武蓮稔と義流らしい。
漢字にするの、あんま好きじゃないなぁ。
ブレネン宅でまた深夜までくだらん話をして帰ったら、すぐに寝た。

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