2011年1月25日火曜日

1.12

朝寒いと起きるのが遅くなる。

前日と同じ食堂に行って朝から餃子を食べて出て行った。
風が極寒。

芦笛岩という鍾乳洞へ行った。
同じく世界一周中だというかおりさんと一緒だ。
香港でも会った人だ。

山口県の秋吉台や、ベトナムのハロン湾などと同じく、桂林はカルスト地形で、
カルストは、石灰岩とかが水に溶けてできるらしいので、例によって鍾乳洞がある。
市バスに乗って向かう。芦笛岩までは10分ほどでつく。

桂林の中心では、山は見れないのだが、バスに乗って少し外れると、
思い出したようにむくっと民家の裏側に聳え立つ岩山が見える。

入場料は、60元と聞いていたが90元と値上がりしていた。
精神的ダメージは計り知れなかったが、中に入った。

内部はかなり大きかったが、ライトアップが派手すぎて、自然な色の洞窟の壁が見えなかったw
桂林の山と水は天下一である。

えてこ発見。

寒いのでがっつりゴアテックス着てます。

うん、これはきれいな。
水に反射してます。

続いて、桂林の町が見渡せるという畳彩山に行くことにした。
歩いて一時間ということだったが、地図がないので100mずつ人に聞いていたが、
人によって食い違い、しまいにはてんでわからなくなったので、またバスに乗った。
少し見上げると深いとげとげした山々。

ちょうちんかわいい。

カカ、こんなCMに起用されてんのか?

バス停を降りると、畳彩山の入り口のまん前だった。
かおりさんが寒そうだったので、あったかいお茶が飲めそうな御茶屋さんに入った。

入ったもののそこは喫茶店ではなく、こだわったお茶の葉を売る店だった。
お茶が飲みたいんですけどーと入ってくる人はあまりいないと思われる店の中に、
日本人二名が震えながら訪れたので、店番の女性二人は少し驚いた様子だった。

お茶、いくらですか。と聞くと20元で飲ませてくれるらしい。
高いのだが、いい中国茶を飲んでみるのも悪くないと思い、座ることにした。
お茶の入れ方や、茶器も日本と少し違った。

頑張って話しかけてくれた二人。



日本酒を飲むサイズの透明なおちょこに淹れ、体を温めようと何度もあおっていると、
お茶屋のおねえちゃんも調子に乗って、また何種類かお茶淹れてくれた。
おいしくて、一口で飲み干すと、またすぐに注いでくれる。
そしてまた飲み干すのの繰り返し。

その間、全く言葉が通じないけれど、お互い粘り強く楽しく会話できた。
かおりさんが持ってきていた広東語の指差し帳が役に立った。
僕たち二人に興味津々だった。どうやら姉妹みたいだった。

相手の言いたい単語をひとつ知るのにも5分くらいかかり、
伝えようとする内容が、意思疎通の0と1の間を漂い行き来する。
そこには、まだ手垢のついていない非言語の時間があって、
もどかしいようでなぜか少し心地よい。

他にもとても気を遣ってもてなしてくれた。

しかし、パソコンの翻訳サイトで中国語を日本語に訳してPCの画面を見せてくれるのだが、
このサイトが返す日本語訳の多くが意味不明だった。

「ル江に行きましたか」などと意味のわかる文章であることはまれだった。

女の子がひらめいたように中国語で何かを言おうとしてこのサイトに文章を入力する
何を入れたのかわからないが、
「ステートビルディングに登りたいです。」

中国語を日本語に訳してなぜ横文字が出るのか理解できない。
桂林の街はいいねーみたいな話をしていたときだったので、余計わからない。
ビルになぜ登りたいなら勝手に登ってくれ笑

おちょこで10杯位飲んで、トイレに2回行ったころ、
この店の主人が帰ってきたのだが、彼もまた、僕たちをとっても歓迎してくれた。
さっきまでお茶を注いでくれていた女性の夫だった。

日本の大学で学んだことがあって、大阪にもきたことがあるみたいだった。
嫁さんは家の奥で料理を始め、おっちゃんが今度はお茶を入れてくれる。
おっちゃんはやたらタバコもすすめてくる。

若いころの写真を見せて自慢してくるおっちゃん。

おちょこを空けるとすぐお茶入れてくれます。
高そうなタバコとお茶。
こんなに目の細かい茶漉し。
「我々は濾過のものです」
とサイト訳。
おっちゃんのおじいちゃんが、日本との戦争で亡くなったことや、
来年日本に来る予定であることなど、一つ一つジェスチャーや筆談を交えて、
たくさん話をしてくれた。

時間をかけて、コミュニケーションしてくれるのがありがたい。

指差し帳では伝えきれないときはPCの翻訳を使おうとする。
ああ、もうそれ使えへんって・・・
そう思いながら、画面を覗き込む。

「私は日本に妾(めかけ)がいます。」

ほらーw

奥さんとラブラブやなーみたいな話をした直後だったので、
翻訳の間違いだというのは明白だった。

おっちゃんの顔が自慢げだったのでまさかとは思ったが、
よく聞くと日本に親類がいるだけだった。
いったいどうしたらこういう訳が出てくるのか・・・

お茶を50杯くらいのみ、タバコを5本くらいもらったころ、
そろそろ悪いので帰ろうとして、20元払おうとすると、
全力で断られた。

最初、お客としてお茶を飲んでただけだったのに・・・。
いや、さすがに払わせてくださいと強く言うと、
おっちゃんは何か言おうとして、義妹がまたPCで、日本語訳を見せてくれる。

「我々はお金を要らない、友達が作られる」

ああ・・・。
ぎこちないがなぜかこのときだけほぼ完璧な訳を返してくれた。

お互い言語が違い、成功する会話が少ないだけに、
通じたこのことばの重さがいつもの何倍もある気がして、
意味が滞りなく、素直に胸にたどり着く。

ことばが理解できても、意味が入ってこないこともある。
通じるっていうのは、心に意味がとどくことだ。

要はうれしかった。お金じゃなく気持ちが。

相変わらず飲んだしりから注がれ、またお茶をのむ。
おしっこがしたくなってトイレに5回くらい行った。

言うてるまに「ご飯を食べてきなさい」と、家の奥に誘われる。
こんな至れりつくせりでいいんだろうか。
ただ単に喫茶店だと勘違いして入ってきた外人にここまで親切にできるか普通。
実はお腹がすいて死にそうやったんよー。

いただきまーす!!
火鍋。

んまー!!

家族みんなで鍋。

もうそれはそれはおいしい鍋でした。
あつあつの白ご飯に、野菜いため、
肉団子や豆腐、菜の花とか、猪の肉とか、餃子とか色々入ったヘルシーな鍋で、
ハイパーうまかった。

ここまできたら、遠慮のたがが外れて、腹いっぱいになるまで鍋をつついた。
家族みんなと一緒に囲む鍋ほどうまいものはこの世にないという確信が僕の中に生まれた日だった。

食事を終えるとまたお茶を飲み、
熱湯をかけると色が変わる置物を土産として手渡され、
お茶を日本に送るよと言って住所を聞かれ、
見送られて店を出たのは、もう暗くなってかなり経ったころ。

お土産。
そういえば今年兎年やってんな
年男や!!
おっちゃんの義弟と店の前で。

いえる限りのお礼を言って、タバコを勧めまくるヘビースモーカーのおっちゃんに、
僕がポーランドのクラクフで買ったピンクの皮製ライターケースをプレゼントした。

外は寒かったが、鍋も食べたし、ぬっくぬく。
あ、そういえば山登りにきたんやっけ?
と言いながら笑った。

歩いて宿まで戻った。
どこでも見る景色だが、たくさん出ている露店の前では中国人が大声で話している。
やはり言葉はぜんぜんわからないのに、
桂林の都会の街が不意に自分がずっと住んだ街みたいに錯覚したのは、
あのあったかい家族と出会えたおかげだ。

寒い中歩いて凍えたり、路線バスに乗ったりして、
目線の下がった旅は、大変なことも多いけど、こういうのがあるから楽しい。
予定の決まった旅程をこなしていくだけでは、ありえないだろう出会いがある。
体も心も温めてもらった。

寒い夜に来る客
茶は酒にあたう。


にも関わらずというかなんというか、
僕の安宿は今日も凍てつく寒さだった。

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