この日は、2日間泊まった7ユーロの宿をチェックアウトして、
プラハ新市街の6.5ユーロの宿に変えることになった。
出発するとき、0.5ユーロのために宿を変えると言ったら、ビスケットをくれた。
同情サンクス。
宿を変えて成功だった。
キッチンも充実していて、人も少ないし、部屋が2階でした。
この日も、次の日も特に何も起きなかった気がする(なんか最近記憶をたどるのが大変になってきている)ので、なんか書こうかなぁ。
世界には本当にいろんな文化や言葉をもった人種がいるなーって思う。
最近まで長らく国を閉ざしていた日本人が、民族の違いに直面したのはそんなに昔のことではない。おそらく海外に長くいた人以外は感じまいその違いを最近少し感じている。
ヨーロッパなんて、ちょっとバスで移動すれば2,3カ国またいでしまうぐらいで、その国が全部言葉も人種も異なるということがおこる。まるで豊中市と吹田市が分かれるように、川に架かる橋を渡ると、違う国なのだ。
旅行者からしたら、両替は面倒だしシステムも違うとなるともう一緒にしちゃえばいいのにと思うけれど、民族意識に起因するいろんな争いがあってその国境線が引かれたのだ。
このチェコだって、1990年くらいまでは、チェコスロバキアっていう一つの国だった。それが今は分かれている。
差別とまでは行かなくとも、人種による不公平というのは厳然と存在していて、自分がアジア人であるところの日本人なのだと、アイデンティティをより濃く縁取られていく。
長く旅をしているともちろん、不愉快な差別を受けることもあるし、見下されていると感じることも少なくない。特に白人たち。それはおそらく一国だけの旅行でも、パックツアー旅行をしていても気がつかないことだ。
アジア人全般に対して横柄な人間がまま存在するもんだ。(まあ、中国人はなぜかどの国でも嫌われているから、その影響かもしれないが)
批判したいのではない。生まれた場所によって大方の考え方は決まるのだし、日本でガイジンさんが同じような気分になっていないとも限らないからだ。
ヨーロッパにはとても深く煌びやかな歴史があって、常に、そして未だに世界の支配的位置にある。ルネッサンスも、人権の概念も彼らが作ったものだと歴史は教えてくれる。
それは西洋人の時代を切り開く力の賜物だったと思うし、素晴らしいと思う。日本が極東の島の中ででひっちゃかめっちゃかやってる間に、西では多くの文化がお互いにぶつかり、取捨選択されていくたびに、洗練されていった。
だから、ヨーロッパの歴史には誰もが魅了されると思う。物価の高いヨーロッパに世界中から自分には関係のない教会や城などを見るために集まってくるのだから。
この2ヵ月半で、大きくかき回された自分の国のイメージを今一度掘り起こしてみる。そうすると、純日本的だと言われるものは淘汰されつつあることに気づく。国の制度ももちろん欧州産。人気のあるブランドも欧州産。特に若者のクールの価値観が、日本をベースにしていない。
ヨーロッパはもはや日本の故郷だ。と言えるかもしれないぐらい、他の多くの国と同じく日本もその文化に立脚している。それはもはや疑いようのない事実だ。
そうなるとヨーロッパの観光が面白いのが当たり前だ。いま日本の社会にあるものは、彼らが発明したものが多いのだから。へたな寺を見るよりよっぽど自分たちの価値観に影響を与えているものだから、おもしろいだろう。
それにしても、日本も深い歴史があるのに、これほど価値観が他国に拠っているのはなぜだ?
三味線や尺八がいけてないのは、女がこぞってガイジンさんみたいに化粧するのは、教会で祝福されて結婚式を挙げるのはなぜだ?
僕は、日本が大好きだし、絶対一番だと思う。
そう言えなくなってしまうような状況なのが僕は悔しい。
自分は、祖国の文化を大事にしてきただろうか?
明治時代、海外の文明が入ってきたとき、幕末を生きた日本人は、圧倒的な文明に感服しながらも、日本人のもつ精神性の美しさは無二のものだと、誇りに持ちつづけたらしい。
僕は日本が大好きだ。
ガイジンだらけの雑踏を縫って歩きながらまた、探している。
コイツらになくて、日本人であるオレにあるもの―――――
快適なヨーロッパ一人旅は、少々頭が動きすぎるみたいだけど、
多分漠然と悔しいのだと思う。
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