2010年11月10日水曜日

10.23


こんにちは。もう11月の半ばですね。
僕は今カサブランカからマドリードへ戻る飛行機の搭乗を待っています。easy jetはかなりの確率で遅れますね。
僕のブログも、もう致命的なくらい更新が遅れているので、これから若干記事が適当な感じになってくると思いますw

この日はフィレンツェの町を歩いた。ドゥオーモは今まで見た中で、外装が一番おしゃれ。
ドゥオーモ。神の家っていう意味らしい。
町並みはこんな感じ。
あの円形のところがクーポラなんですね。
中。体育館みたい。

この街はミケランジェロなどルネッサンスの芸術家たちが集まっていたので、その類の建築がたくさん見られるらしい。

小説「冷静と情熱の間」の待ち合わせにあるクーポラに6ユーロで上がるかどうか考えたが街を一望するには南にある丘を登ればいいのでやめといた。僕が主人公ならクーポラの入り口の行列の前であおいを待つ。
行列。

街にはたくさんの美術館がある。
その中でも、捨て子養育院美術館という奇妙な美術館に行ってみた。
ルネッサンス時代にどんな風に母子保健、特に母親をもたない子どもを育てる施設が発展してきたか、またあるいは絵画における子どもの描かれ方をテーマにしているらしいが、単語力が不足して、完全には理解できなかった。
下でおこなわれてたWS。
美術館よりおもろかった。

アルノ川を渡って、高台にあるミケランジェロ広場まで歩く。
見えてるのがアルノ川にかかるヴェッキオ橋。
ヴェッキオ橋から。

ずいぶん歩いたので、もう夕刻だった。
丘からの展望を邪魔するように、その麓で枯れ草を焼く煙が、街の姿にもやがける。
フィレンツェを一望できる広場の塀に腰を下ろし、東に見える山の峰から、視界に現れた雲が風に流され西に消え、しだいに空が赤く染まっていくまで、僕はそこでぼっとしていた。
いい眺め。
ミケランジェロ広場から。

18時になると、車のヘッドライトや街灯、建物の窓から一つ、一つと光がこぼれはじめるのが見える。広告やネオンライトではなく、人間の生活の光。僕はこの場所が気に入った。
ピンク色。

横で同じくそれをながめていた観光客も、ぼちぼちと丘を下り始めた。
仕事を終えた人は家に帰り夕食を始める。
観光客もお酒を飲んでホテルに戻り、今日一日を振り返るのだろう。
ホームレスなら、空腹をごまかすため早めに寝床を探すかもしれない

今晩宿に泊まるつもりはなかった。ここフィレンツェも最低20ユーロくらいする。
昨日の宿に荷物を預けているが、それをとりに帰って外で寝る。
ホームレスでも、観光客でも、住民でもない僕はいったいなんと分類されるんだろうかw

すっかり闇に包まれて、その明かりで隣町の位置までわかるようになるころ、僕も下ることにした。
帰り道。
暗いな。
石畳いいな。

途中、通りがかった広場には、とても素敵なパフォーマーがいた。レベルが高すぎる。空き缶にはたくさんのチップが入っていた。だから芸術を育つんだろう。ウッドベースのテクが半端なかった。
とってもよかった。

昨日の宿でネットして、ローマの宿を押さえたあと、バックパックを背負い駅前のマクドで閉店まで読書にふけり、閉店後は地下鉄に通じる階段を下り、閉まったシャッターの前で、二人のホームレスと枕を並べ(?)イタリア二回目のビヴァーク。
もしかしたら危ないとか言われたり、同情されるかもしれないけど、何度野宿しようと、僕の心は満たされている。
一人で異国を7ヶ月も放浪できる。人に恵まれ、機会に恵まれている。
この世界の全ての収支はすべて0になっているという。クロースアップすれば偏りはあるだろうが幸も不幸も、善も悪も、マクロで見れば全て0。でもそれにしては僕は恵まれすぎている。
だから、これから僕に不幸が訪れるというのではなく、まさにその逆で。
僕は致命的に危険な目にあわない気がしている。
収支を合わすように、帰国してきちんと勉強して、どこかに幸せを還元する使命があるだろう。
だから無茶しても何にも起きない。と、出発前の不安について考えていたのを思い出した。
ここでもぐっすり眠れる野太さを僕は気に入っている。
なんであのおばちゃんはモヒカンだったんだろう。
座らんでも寝転んだらええのに。
ただ、階段で寝ていた女性ホームレスが壁に向かって大声で話しかけている声で、僕は一時間おきに起こされた。どうやら彼女の話し相手の壁もなかなかのおしゃべりみたいだった。
朝7時ローマのテルミニ駅に向かう。もちろん普通列車で。

1 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

おいーっす^^
http://ameblo.jp/vn-2nd-spl/

コメントを投稿