2010年11月20日土曜日

11.16


朝5時テントの生地に叩きつけられる風の音で目覚める。

風が明らかにどんどん強くなってきた。

寒いー。それになんか鼻が詰まっている。

そうだったー朝焼けを見に行くんだった。

テントから出ると、極寒。曇っている。
(温度計を持った人に聞くと、テントの中ですらマイナス2℃とかだったらしい)

東の空からあがってくる太陽が空を赤く染めていたけれど、
フィッツ・ロイが染まるのは雲で見れなかった。

数枚写真をとって、またみのむしのように寝袋の中に入って眠った。

朝焼け。
感想:きれいけど寒い。

次に起きたのは、9時。

風におされてテントが内側に迫り出してきた。

木が揺れてすさまじい音がしている。

外に出てみると、地面に打ったペグが風で抜けていた。

雨が降っている。

嵐の予感。

体調がおかしい気がしたが、気にせずテントの中で朝ごはんを作る。
あったかいりんごジュース的なのをつくった。
なんか病人みたいだ。
甘くておいしい。

いや、寒すぎる。体の芯まで凍りそう。
そして、風が異常に強い。風が強いで有名なパタゴニアだが、ここまで強いのか?
僕が出たら、テントが吹き飛ばされそうだ。

料理しているうちに、雨は強まり、さらに風も強くなった。
外をのぞくと木がしなりまくって今にも折れそうだ。
昨日気づかなかったが倒木があたりに散乱している。



嵐の大地パタゴニアの樹も生きるのが大変。

周りのキャンパーたちもいっせいにテントをたたんで退散してゆく!
どうする俺?

とりあえず外に出てタバコを吸って落ち着いて、水を汲みに行った。
すると、足元がふらつく。
やっぱり。
俺風邪ひいてる!!だからこんなに寒いのか!!
いやそれを抜きにしても寒すぎる!!
旅に出てからまだ体調崩してないのに!!!

水をくむの図。

雨が強くなって、テントが浸水したらやリアルにやばいことになるなー。
でも下山したら宿代高いしなー。まだフィッツ・ロイの頂上近くで見てないし、食料も余ってるしなー・・・

それにテントを、この風と風邪と雨の状況でたたむのがめんどくさい。


しばらく考えたが、

うん。めんどくさい。

僕ははらをくくって、今日はこのキャンプ場に居座ることにした。

猛然と吹きすさぶ風と雨の中、パタゴニアの山中という人の羨むだろう絶好のアウトドア環境でテントに引きこもる。
この日そんな究極のインドア体験を僕はすることになる。

それにしても山の中で崩れかけていた体調を整えることになるとは・・・。
暇なので手持ちの本を完読し、いろいろ思索にふけったりしていた。

僕はこの1週間を思い返していた。

えっと、1週間前。つまり今月8日、僕はまだモロッコにいた(ブログ未更新)。

モロッコ!?



とっても昔のことのようで信じられない気がする。



一週間前、僕はまだその姿を千年以上のあいだ、幾らも変えていないであろう、
フェズのメディナの迷路をさまよっていた。
そして今、アルゼンチン南部の山中で風邪をひき、目下、ストイックにも極寒の山中にて養生中である。


一週間を簡単に振り返ると、
11日にモロッコのカサブランンカからマドリードに帰っていた僕は、
その日中の飛行機を乗り継ぎ、アルゼンチン、ブエノスアイレスに飛んだ。

ブエノスアイレスに着いた次の日には、パタゴニアに飛ぶ航空券を捜し求め、
その次の日のフライトでカラファテに飛び、
翌日は氷河へ行き、昨日、チャルテンのトレッキングに来た。
これ以外もわりと精力的に、街をあるいてきた。

移動に次ぐ移動だ。
この一週間に関しては僕ほど移動している人も地球上に何人もいないんじゃないか。
体調がいいわけがないな笑

まあそれはいいか。

昼ごはんを料理したあと、寒さに耐えながら、読書していた。

こんなにゆっくり何もしないのは久しぶりでうれしい。


風邪と嵐を理由に動かなくていい。
台風で小学校が休みになって喜ぶガキンチョみたい。

言うてる間に、周りにキャンパーがいなくなった。
相変わらず風は強く吹き続けている。

平野につづく森の中を、秒速数十mの風が吹き抜ける。

樹から樹を揺らす風の音は、森のはるか向こうのほうから聞こえ、
近づき、頭上を通ってまた先の樹を音を立てて揺らしていく。

時折、30秒ほど風がやむときにだけ、元の静かな森に戻り、
風の激しい音の代わりに、しばしの安心を得た鳥が鳴く声がする。
雲間をすりぬけ、この風で揺れる樹上の葉をもすりぬけた日の光が、辛うじてテントの天井を踊っている。

読書の目を休めて、ただぼっと、テントの天井の向こうの森を見つめていた。

なぜか楽しい気分だった。



命がけで登山をする人や、日本の文明を捨てて、アラスカで過酷な生活をする人がいる。
追い込まれるのが楽しいのは、普段は感じていない、生が意識されるからだと思う。


生に対しての死を感じるというと、おおげさだけれど、
人は、自分の存在をおびやかすような何かにぶつからなければ
自分の「生」の固さも、粘り強さも知ることができない仕組みになっているのだ。

と出発前に読んだ本に三島由紀夫が書いていた。


俺はちゃんと自分で生きているのか。


日本にはかつて戦争があったし、不治の病気の影も今よりぐっと人々に近かった。
その分、生を意識する場面も多かったと思う。
だから幸せだったというんじゃない。
暖衣飽食の日本の生活は最高だし幸せで満ち足りているはずだ。

結婚して年をとって、子どもを育て、長生きするためにタバコをやめて、病院で死ぬ。
これが一番確かな幸せのレシピだ。
長い長い歴史の中で人々が手にしようとあがいてきたんだから。
その安定を保持するためには、50年にわたる嫌な仕事だっていとわない。



そんなことしているうちに自分の生を本来縁取っている深く濃い線は、
ものがあふれる都会の雑踏に溶け込んで、消えていく気がするかもしれない。



旅に出て無防備になると、少しわかる気がする。
ヨーロッパにいても、アフリカにいても、アルゼンチンの山中にいても、
日本にいた自分はそっくりそのまま自分だ。


俺はここにいるんだって実感がわく。


カラファテやチャルテンにいる放し飼いの犬や野犬が日本のマンションにいる犬よりかっこよく見える。
環境は苛酷かもしれないが、野を走り回ってイキイキとしている。


野犬は日本の飼い犬がうらやましいだろう。
比較はまた、ないものねだりを生むばかりだ。





また強く降りだした雨はテントの外側で、乾いた音を立てて、
僕の不安をあおってくる。

テントの中には水は入ってこないみたいだ。
理由はないがこの天候は明日にはおさまる気がしていた。

またうとうとして眠ってしまう。
起きたら17時。

さっきまで熱っぽかった体はもう軽くなっていた。
この危機的状況だからこそ、すぐに治ってしまったのかもしれない。

また料理する。
今日は野菜スープのパスタにチーズをたくさんいれてみた。

すると、カルボナーラみたいなったー。
大発見。うますぎる。体が温まる。
最高!!!!毎食これでもいける!


夜、ようやく雨が止み、寒かったが頑張って外に出てみると、
満点の星空が広がっていた。


何万じゃすまないだろう星々は、パタゴニアの澄んだ空気のせいか
その輪郭さえ区別できそうなほど一つ一つはっきりと見えた。



この無数の星も、
雲や街の明かりに干渉されて見えないだけで、
どの街の汚い空の向こう側にさえ、常に存在しているのだと、
圧倒的な星空を見ると、そう思っていつも驚いている。


雲の割合が減り、風が弱くなってきた。
明日はいい日になりそうだ。



こうして嵐は止み、僕の山中2泊目の夜は穏やかに更けていった。







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