ブログ更新が滞っていましたが、未だポトシで高山病で倒れているわけではなく、
もうはるか北に移動し、現在アメリカ横断中です。
アメリカのテネシー州、メンフィスに来ています。
今まで更新があるか、のぞいてくれていた人がいたら申し訳ないです!!
さて、高山病がだいぶマシになったポトシの3日目。
「ポトシを見て死ね」
ドン・キホーテの著者であるスペイン人セルバンテスは、本の中でそう書き、
「ポトシの銀でマドリッドまで銀の橋が作れる。」
どこぞの神父がそういったらしい。
ここボリビア、ポトシには、スペイン植民地時代に銀が採掘されてかつて繁栄を誇った銀山がある。
名前をセロ・リコ(豊かな丘)というこの山はポトシ市内から見える。
レコンキスタでイスラム勢力から解放された16世紀、スペインが、金銀や香辛料を求めて海に繰り出し、西周りで南米大陸に辿りつき、やがてインカ帝国を征服した。
メキシコ、ペルー、ボリビアで大きな鉱山を発見して開発し、ただ同然で自国へ持って帰ったスペインは、そのおかげでとっても繁栄したらしい。
この時代、アンデスの4000mの山中にあるポトシは世界一の生産量を誇り、
当時金より高価だったという銀はヨーロッパへと輸出され、
通貨として世界中に散らばっていた。
もっとも、直接命を危険にさらして奴隷のように働かされていたのは、
先住民であるインディヘナの人々であり、はるばるアフリカから連れてこられた黒人奴隷だった。
以上の史実は世界史がさっぱりだった僕には初耳だけれど、有名な話である。
ここから、世界通貨としてのポトシの銀は歴史のひとつのターニングポイントである。
街には権威を感じさせるカテドラルがあったり、
コロニア風の石畳があったり往時の姿が垣間見える。
今は、銀はもう枯渇し、スズや他の鉱物が掘られてはいるものの、
産出量は減り、人口は減少している。
そういう歴史や背景を感じられる、
現在も稼働中の鉱山の坑道を歩く体験なんてなかなかできるもんじゃない。
正直、実際命がけで働いている人の横でのツアーなんて、
民族の写真を好奇心だけでわざわざ撮りに行くのと同じで、
そっとしていてやれよと思ってしまうが、興味が勝ってしまった。
ピックアップ時間ぎりぎりに起きた僕は
準備を済ませて急いで降りると、ガイドがすでに払ってあるお金9ドルを請求してきた。
インディヘナは正直な人が多いので悪意がないのはわかっていたが、
英語が話せるはずのガイドは僕が10回は繰り返した
「I already paid.」が理解できなかった。
インターネットで翻訳してスペイン語にして初めて理解した。
もう払ったって。
大丈夫かいな。と、僕は日本語で彼に言った。
それぐらいスペイン語で話せない僕も悪いと思うが。
それにしても、高地に住むインディヘナ達の日焼けはすごい。
人種的な黒さではなくて、日焼けによる色合いだ。
ここは富士山よりはるかに高く、気温は高くはないが、紫外線はものすごいんだろう。
僕もすでに唇が荒れ始めていた。
車に乗り込むと、車内にはフランス人2人と、スイス人2人が待っていた。
彼らは、スペイン語が堪能である。
南米を旅する白人たちはスペイン語を話せる場合が多い。
日本人には英語が話せないのに世界一周している人がいるけれど、
なかなか欧米の旅行者からしたらぶっとんでいることなんだと思う。
彼らと共にアップダウンのある石畳の道を揺られ、
数分したところでおろされ、ヘルメット、作業服、長靴、それにヘッドライトを装備した。
そうしないと、落石によって命を失うこともあるみたいだ。
坑道内部は、気温が40℃となる箇所もあるらしく、作業着の下はできるだけ薄着。
標高4000mで40℃の暗い坑道って過酷過ぎやしないか・・・
と、働くわけでもないのに病み上がりの僕はびびった。
普通に歩いていても僕はまだ息が切れる。
その後、一同は売店みたいなところに連れて行かれ、
ジュースとコカの葉っぱ(コカインの原料だが、まだ麻薬ではない。)、アルコールを購入する。
労働者へのプレゼントするためである。10ボリ(120円)も取られた。
でもお邪魔するんだから、こればかりはしょうがない。
コカは、アンデス地方、とりわけボリビアでたくさん生産され、
現地人は嗜好品として楽しんでいて、口の中にたくさん入れて噛んだりする。
まだコカインではないとはいえ、覚醒の薬理作用はもちろんある。
この葉っぱを他国に持ち込んだら捕まるらしいので注意。
特にアメリカとか。
(僕はコロンビアからアメリカへの入国で4時間拘束されました。コカは関係ないけど。)
よりソフトな、コカ茶は、旅行者も楽しめる。何度も飲んだが深みのない日本茶って感じ。
それに加えて、ツアー終了後、ダイナイマイトの爆破を実演するために
一人3ボリ(40円)出して購入。
コカの葉とダイナマイトが、街角の雑貨屋で買えるポトシ。
しかも200円台で買える。
もし喧嘩に負けたらダイナマイトで仕返しできるぽとしよ。
あとは粉塵対策にマスクも購入。
このツアーは4時間で700円くらいするが、
利益が旅行社だけでなく、果たして坑夫たちにいくらか還元されるのかと思っていたが、
手渡しで差し入れするのかと納得した。
ポトシにおいて、観光も街を支える大事な柱である。
さて、再び山に向けてトラックを走らせる。
坑道の入り口手前でこれぞインディヘナって感じの日に焼けた派手なおばちゃんが
手作業で鉱物の残りカスみたいなのを選別している。
やっぱり鉱山以外の仕事もあんまりないのかな。
ケチュア語でなにかを言った。
ガイドは引き返して、おばちゃんにコカの葉を手渡した。
おばちゃんは満足げだった。
ガイドは数点の注意点をスペイン語で、そして親切にも僕の方に向きなおり、
今度は英語っぽいスペイン語でも同じ事を話してくれた。
どうもありがとう。
そしてガイドは坑道にためらいなく入っていった。
坑道の中。 トロッコが押せるように、線路が引いてある。 |
予想通りきつい。僕を含めてみんな息が上がっている。
特にフランス人の女二人組がしんどそうだ。
地面はぬかるんでおり、歩きづらい。
細い通路の中央に、古びた線路が通っている。
ヘッドライトがなければ、何も見えない。
圧調節の機能さえもたないだろう原始的な、酸素を坑道へ送るパイプに
所々壊れたように穴が開いていて、そこからシューと音を立てて空気が噴出している。
粉塵が半端ではない。
一日いただけで喘息みたいな症状になりそうだ。
途中、何度も坑夫が3~4人で力いっぱい押していくトロッコが坑道を通る。
2t以上の重さを走りながら押す。彼らはマスクをつけない。
自分の腰ぐらいの高さまでかがみ、前も見ずに押す。
みんな汗だく、すさまじくエネルギッシュだ。
真剣だし、過酷な現場なので気楽な観光客は冷やかしているみたいだ。
とは言っても、疲れと現場のインパクトで、僕たちに言葉はなかったのだが。
トロッコの重さは2t~4t。 一人じゃ全く動かない。 ところで右のおっちゃんのコカの葉で膨らんだほっぺたかわいい。 |
ドロッコの音が前か、後ろから響いてくるのが聞こえる。
その度にメンバーは横によけ、トロッコが立ち止まった場合は、コカの葉を渡す。
それとジュースも。
坑夫は例外なくコカの葉をいっぱいにほおばっている。
僕たちの存在を少しも嫌そうにせずに、
そのコカで満たされた口で、うれしそうに「グハヒアス」と言ってくれるのに救われた。
こういう時、「デ ナーダ」(どういたしまして)ではなく、
こっちこそ「グラシアス」と言いたくなってしまうのは少し日本人的かもしれない。
働いている人は若い人が多い。
途中で聞いた二人は
30歳で7年目。
22歳で4年目だった。
10代の者もいた。
この村では男の仕事が少ない。ポトシでは鉱山で働くのが男の仕事である。
文字通り、身を粉にして働いている。
共に働いている男たちはともに協力する仲間って感じだ。
ガイドの案内で、色紙で飾られた熊みたいな像にたどり着いた。
闇の洞窟の奥に座り込む巨体の像はかなり不気味だったが、
彼はスペイン語で「ティオ」(伯父)といい、いわば鉱山での安全を守ってくれる神様である。
ガイドは、坑夫は皆こうするんだといって、
97%のアルコールをその熊にかけ、タバコをくわえさせた。その絵はなかなかシュールだ。
これが安全の祈りになるという。
その顔つきを見ているとなんとなく、立ち去りたくなるような神様だった。
ティオと呼ばれる、神様。 |
作業はその多くが手作業である。
スコップを持って鉱物をすくいあげ、大きなかごにぶち込み一杯になったら頭上の穴へ引き上げ、階上に運ぶ。
機械を使って掘削してゆくようにはなっているらしいが、
発掘は個人経営の会社が別々におこなっているらしい。
作業のきつさは大昔と変わってないらしく、未だに人が死んだりするそうだ。
もう埃で写真なんてとれたもんじゃない。 |
40℃エリアで裸で働くおっちゃん50歳。 僕らの差し入れジュースを受けとる。 |
掘削機を操作して掘り進めて行く人には、一層の危険がともない、そのぶん高給である。
ガイド曰く、
「They earn a lot of money because they die really fast.」。
彼のニュアンスを含めていうなら
「金は稼げるけど、そっこーで死ぬからね」
らしい。
この粉塵じゃあ、塵肺症になるんだろう。
それでも先端で体を張る人はボリビアの物価にて1000円の時給をかせぐらしい。
ボリビアで時給1000円は異常だと思ったが、何度も確認したので本当らしい。
もっといいマスクを着けたらどうなのだろう。
暑いエリアに突入すると、息苦しくなる。
そこでも坑夫たちは地面に這いつくばるようにして走っていく。
裸で作業している人もいた。
途中、線路上にスタックしたトロッコがあり、二人の坑夫が困っていたので、手伝った。
直立したときの膝ぐらいのところにある取っ手を押す。
ラグビーのスクラムか、それ以上に低い姿勢で。
100mくらい押したが、もうそりゃあしんどかった。僕もコカの葉が欲しくなった。
坑道に入ってから2時間近く洞窟内を探検したあと、
外に出て大きく息を吸い、太陽の日を浴びる。
ポトシの街を見下ろす丘の涼しい風が癒してくれる。
暗い坑道から見えた、円く切り取られた外の世界は、まるで天国みたいに思えた。
一日働いて、ぼろぼろになって見た外の世界はどんな感じなんだろう?
最後はダイナマイトを爆破して終わり。
離れていたが、すさまじい音がした。坑道ツアーの打ち上げみたいなもんだ。
ポトシ。 |
ガイドと、ニトログリセリンの塊。 |
ダイナマイトが爆破した数秒後。 |
たくさんの感情が僕の心の中を占めていた。
必死に働くインディヘナ達がとっても立派に見えた。
彼らは一日8時間働いて、だいたい10ドルを稼ぐ。
ここで、そんな少ないのかと、思うのはいささか早い。
物価という概念自体は、複数の国においての価格の対比によって初めて成り立つからだ。
ただこの鉱山で採掘されてきたものは、多くが輸出用だったろう。
支配されしものは常にアンフェアな立場においやられる。
貴重な鉱山資源は発見されてから枯渇するまで、搾取されて本当の意味でその利益が国民に還元されることはなかった。
それでも、危険に身をさらして毎日あのどこまでも深く続く闇に潜ってきたインディヘナ達のことを考える。
あの暗い坑道の中で、彼らは胸の中に何を灯して、
毎日寿命を縮めながら、泥にまみれて働くんだろう。
彼らはコカの葉に依存している。
コカの成分を摂取することによる覚醒作用によって
「恐怖感を喪失させる」「疲労感を薄れさせる」
「空腹感を薄れさせる」「眠気を忘れさせる」
らしい。
重労働に不要なものを全て忘れるためにコカの葉を噛む彼らが、
暗く過酷な山の中で忘れずにいるものは何だろうか。
一昔前ならこんな現場は山ほどあったのかもしれないし、
坑夫ってこういうものなのかもしれないが彼らを本当に尊敬してしまったみたいだ。
こういう今も生きている街が、僕は興味があるみたいだ。
そんなにメジャーじゃないかもしれないが、
この体験は自分の中で南米のハイライトの一つになった。
彼らは明日も暗い坑道で働く。
僕は明日も思うがままに、旅をするため、
夜の7時の便で次の街、ウユニへのバス(70ボリ)に乗り、
鉱山のある街、ポトシを後にした。
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