2010年12月7日火曜日

11.26

おひさしぶりです。

最近忙しかったです。
また日記頑張ろうと思います。



この日、イグアスアルゼンチン側プエルトイグアスを出発。

例のブラジル素通りバスを待つこと2時間。もう読む本がないのがキツイ。

パラグアイ国境で降り、イミグレついでに盗まれたカメラの代わりを探す。

ゆうたさんが教えてくれたのだが、シウダーデルエステは免税店がたくさんあった。
確かに、買出しらしい人もたくさんいるみたいだし。

調べてみると確かに安かったので、オリンパスのおもちゃみたいなカメラを購入。
性能はとっても悪いが、しばしこれで我慢しよう。

そしてパラグアイマネーであるグアラニーに両替(1$=4700グアラニー)

シウダーデルエステのバスターミナルで、
パラグアイの首都アスンシオン行きのバス5時間9$を購入。
パラグアイといえば、チラベルトとか、守備が堅いくらいの知識しかない。

中距離バスなので、パラグアイ国民の足でバスがボロイ。
床にはゴキブリが這っている。
小さい奴ならデコピンできるくらい僕も強くなった。

さすがに中くらいのが足を這い上がってきそうなときは焦ったが。

アスンシオンには結局1時間半位遅れる。誤差大きすぎじゃないか?

本当に足早なのだが、翌日のボリビア行きのチケットを購入。

もう時刻は22時だった。

アスンシオンには日本人が経営する宿がある。
最安値よりは少し高い場合が多いが、日本人が経営する宿は本当に信頼がおけていい。

でも、今回の僕の目当ては、併設されているレストラン「すきやき」である。

日本人宿に行くのは少し甘えてるような気がして
あまり気が進まなくなってきたのだけれど、
もう夜も遅いのでPCを開いて住所を調べ、遠いのがわかるとタクシーの運転手にメモを渡す。

珍しくメーターがあるので値切れないのが残念だった。

日系ホテル「内山田」は昭和のにおいがする。

今でも田舎のほうに行くとありそうな大型のホテルだが、内装が昔っぽくて少し寂れている。

ここはスタッフも日本語を話し、案内には「~ございます」などと丁寧に書いてある。
日本じゃ当たり前の、客に対してうやうやしいスタンスは、異国で妙にわざとらしく響く。

部屋はシングルしかなく、少し高い朝食付き14$。

さっそく部屋に入ってみると、広いベッドに、風呂は浴槽付き。
お湯無制限。



・・・ああ、神様。



そしてもう閉まり際のレストランに駆け込む。
聞こえてくる「いらっしゃいませ」「ブエノスノーチャス」。


これだけでも感動。


パラグアイ人の女給さんに、日本語で「しゃぶしゃぶ」と「ビール」を注文。
ウェイターという単語はよもや使うまい。

すきやきも捨てがたかったが、ポン酢でしゃぶしゃぶが食べたかった。
パラグアイビールが運ばれ、飲んでいると、空いたグラスにパラグアイ人女給が注ぎに来てくれる。

日本の料亭並みのサービス。

白菜や、ねぎ、もやし、豆腐など信じられない具材が当たり前のように並んでいる。

「鍋に具を入れるのは御自分でなさいますか、それとも私がいたしましょうか?」みたいなことをパラグアイ人女給は聞いてくる。これはスペイン語。

僕はなぜか照れながら後者を選択。
「あ、やってください。」


長い間、日本のサービス、もてなしから離れていたもんで、
こういうサービスを受けると、逆に違和感を覚え、

「この女給、俺に気があるんじゃないか」と思ってしまいそうになる笑

気持ちわるい。


温かい鍋はそろそろ日本の食卓をヘビーローテーションしていることだろう。

僕は6人がけの大きなテーブルで、一人で鍋をつついた。


どれもこれも、口に入れた後、一度箸をおいてしばらく天を仰ぐほどにうまかった。


野菜もおいしいし、肉は日本のしゃぶしゃぶよりうまい気がした。
祖国の飯はこんなにおいしいのか!と戦地の兵士さながらに喜び、あっという間に鍋は空になった。


至極当然のことながら、その後は郷愁が襲ってくる。


日本が恋しくなるという変化というよりは、
日本の食や風土、自分の国が意味する全てのものが
どうしようもなく好きだと気づいたというべきだろう。


日本語も、日本食も、ただの言葉であり、ただの食べ物なのに、
ここまで自分にとって特別なのはなぜだろうと思う。

パラグアイ人が日本の鍋を食べても、別に何も思わないに違いない。

英語を使えば大して困ることもないし、スペイン語も勉強すればなんとかなるだろう。
世界のどこにでもある、コーラ、チキンのフライやホットドッグみたいなものも、
どちらかといえば結構好きだし、特に不満はない。

食べ物に関して言えば、
それは、それが寒い日に家族と囲んだ鍋であり、
初めてバイトで稼いだ金で食った寿司だからだろう。

味や食感の内側に、幼いころからのあらゆる個人的経験が染み込んでいて、
噛めば噛むほどそれが染み出してくる。

言葉もまた然り。

ところが、このニュアンスが国境を越えるのはなかなか難しいと思う。


こないだやたら日本に詳しい南アフリカ人のバックパッカーと
日本について夜な夜な話していると、
何のつながりか、日本のひな祭りの話になった。

英語で、ひな祭りはドールズ フェスティバルというらしい。

この時点で違和感を無視しがたくなって、
ほんじゃあ、桃の節句はデイ オブ ピーチとでも言うのだろうかと、
なんだかあほらしくなって、文字通り閉口してしまった。

日本人として、3月3日に特に思い入れなどなくても、
またその由来の知識がなくても、自分の国の行事が意味するものについて、
思った以上にはっきりしたイメージを持っているはずなのだ。

海外に出て、日本の文化や歴史を、
知識がないせいでうまく説明できなかったのが恥ずかしいと言って、
wikipediaや広辞苑で意味を丸覚えしようとする経験は、少し海外にいた人の多くが経験するんじゃないかと思う。

別にそんなことしなくても、日本の皆と囲む鍋がいかにうまいか、
どれだけそれが自分にとって大事か、説明してあげることの方が、
よっぽど日本という国を伝えられるんじゃないかな。

それはどんな国でも当てはまって、
その文化に住む人たち固有な経験により、
食や文化と人間は、ますます不可分になっていく。



しゃぶしゃぶに感動しただけで、異常な飛躍を見せ、急に文化を語り始める日本人。
学校のお弁当に、すっぱいインジェラを毎日作ってくれたおふくろを思いだすエチオピア人。
同じ鍋のカレーをナンでつついて食べた仲間を思い出して、切なくなるインド人。



きっとこの世界のどこかにいるはずである。




その国を知るというのは、
そこに住む、一見奇妙な風習を持った人々が、
偏見を取り除けば、結局自分と大差がないっていうのを実感することだと思うのである。



想像すると自分の口に合わない異国のご飯を楽しもうという気になるかもね。




以上、全てしゃぶしゃぶが旨かったという話。


しかしこんな記事、誰が読むんだ?w
本当、読んでくれた人すみません。



部屋に帰り、満々に張った湯船にどっぷりつかる。
浴槽につかるのは初めてだ。

この風呂のおかげで、旅の疲れはいささか洗い流せたが、
しゃぶしゃぶのせいで生じた、どこか心地よいサウダージは
泥のようにベッドで寝入るまで、僕の頭の中から消えなかった。


移動のせいで疲れていて、コンタクトもはずさずに寝てしまった。


パラグアイビール、ピルセン。
のどごしが弱いけどおいしい。

はいきた。

給仕してくれる。
パラグアイ人は美人が多かったー。

なんかきもい笑

神が舞い降りた浴槽。

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