コロンビアのボコタへのフライトが13日17時にあるからだった。
大陸の西海岸にあるリマに行けば、高い標高ともおさらばだ。
道は登ったり降りたりして、それにしたがって、
バス内のサービス用の水のペットボトルがさわりもしないのにバッコンベッコンと音を立てた。
耳抜きしないと時々耳が痛くなる。
高山病で死にかけていたポトシが懐かしく、下界に降りるのは少し名残惜しい。
でも最近日焼けで唇が切れていてものすごく痛いので少し嬉しい。
ご飯がついていて、シートも倒れるいいバスだったので、
アンデスを下る途中豪雨に見舞われたときに、
ちょうど僕の頭上から雨漏りした以外は快適な(?)移動。
こういうイカツめ道を行くわけです。 |
まあなんか大雨なんですが、 これがおもちゃカメラの限界です。 |
大量の泥水が道路を流れていくのが面白かった。
リマの町は都会だった。
着いたバスターミナルがどこかもわからないまま、人の流れにのって歩いていた。
リマの情報としては、クスコと同じくアルマス広場が中心っぽいということだったので、
聞きながら歩いていくことにした。
荷物は嫌になるほど重いが、僕はリマで空気を手に入れた。
警察が多いので、道を聞きやすい。
「ドンデ エスタ プラタ デ アルマス??」
多分間違ってるけどこれで通じる。
リマの町はなんかおしゃれな人が多いのと、アフリカ系の人も多かった。
ここには風呂敷のおばあちゃんは見当たらない。
アルマス広場に歩いてたどり着いたが、とくにヨーロッパ風で変わり映えしないので
ベンチに座ってボリビアで買ったギターを弾いていた。
ジュース屋台。 うまかった。 |
アルマス広場。 |
空港のベンチで眠り、起きたらwifiを見つけてネットして、チェックイン時間になったので
列に並ぶ。
リマのなんちゃら空港。 |
航空会社はコロンビアのアビアンカ航空である。
長い列ができていたのでかなり待った。
プリントしたe-ticketは持っていなかったが、パスポートを出すとすぐに発券してくれ、
荷物を預け、ゲートの方に向かう。
国境を越えるのはこれで何回目だろう。
すでに搭乗開始まで1時間をきっていた。
飛行機の搭乗前の一連の流れはいつも緊張している。
頑張って節約している中で何万もする航空券を買い、
それに何らかの理由で乗り過ごしたらアウトという状況のプレッシャーが未だにある。
ケチすぎるのか、臆病なだけか。
などと考えているときに限って、そういうことは起こる。
世の中の仕組みが進化するにしたがって、
バックパッカーの旅のスタイルも変わってきた。
たとえばこのブログも、一昔前なら帰国してから書くしかなかっただろう。
お金に関してもそうだ。
citibankなどの国際キャッシュカードがあれば、どんなに遅れた国でも、
銀行に行けばたいていのATMで現地通貨が引きおろせる。
昔のように米ドル建てで両替を繰り返す必要はないのだ。
だから、僕も、米ドルキャッシュはすでにチェックインした荷物の中にしまってあった。
財布にあるのは、ペルーで余ったお金、70ソルと、5ドル、そして20元。
これが全てだった。
いつもどおりなら、まず手荷物検査があるのだが、
その前に改札があり、リマの空港税なるものを払わないといけないことがわかった。
航空券に含まれている場合がほとんどなのだが・・・。
それでも70ソル(2100円)もある僕は何も心配もしていなかった。
しかし窓口に進んでびっくり。
30米ドルまたは90ソル。
ペルーの空港税が90ソルだということは、
どこかに書いていたのかもしれないが、全く知らなかった。
20ソル足りない。20ソル・・・
600円。
僕はお金を下ろそうとATMに向かった。
ATM・・
ペルーのATMはglobal netという名前のものがほとんどだが、
citibankのものはペルー滞在中一度も使えなかった。
さらにはVISAカードのキャッシングも拒否される。
それ以外のATMは空港内にはなかった。
少なくとも焦りつつある僕の目にはうつらなかった。
もうATMを探し回っているうちに搭乗開始30分前をきった。
僕は方針を変え、銀行へ行き、
クレジットカードからキャッシングをしようとしたがこれも無理だった。
あるいは、どこかショップを探して、
客に頼んでその人のかわりにカード決済して現金を得る。
人が少なく、店も少ないので現実的じゃなかった。
頭がフル回転しているが、皆空回りだ。
金がないもんはない。
情けなくて、涙目になってきた。
僕は今日コロンビアに行って、
明日コロンビアからアメリカのオーランドに飛ぶのだ。
アメリカでは、友達に会いレンタカーで横断とか、たくさん約束をしてある。
この飛行機で飛べなければ、なにもかも狂う。
たった600円が払えないばかりに。
口座にはまだ何十万円もあるのに!
僕は、財布の中に、
パラグアイ2000グアラニー(ちなみに一ドル以下)
5ドル、そして中国人民20元があることに気づいた。
8月にエジプトで会った佐野さんが中国人と大喧嘩するきっかけになった
トラブルメーカーは未だに僕の財布の中に居座っていた。
なつかしい。 エジプト、ダハブにて。 まだ8月の終わりくらい。 |
すぐさま僕は両替所へ走った。
そして、もらったお小遣いで駄菓子を買うガキのように
カウンターにありったけの小額紙幣を、勢いよく並べた。
「ソル、カンビオ、ポル ファボール!」
片言じゃない点で、お腹が空いたガキの方が、幾分か汚い旅人よりマシだ。
自分の顔が青ざめているのが見なくてもわかる。
すると、従業員はスペイン語で何か答えたが、わからないというと、
英語で「We can't take this」
そう言う彼の手の中には、
小太りの男の顔がゆらゆらゆれていた。
これほどあの毛沢東が憎くなった瞬間はこれまで人生でなかった。
人民元は両替できなかったのだ。
万策尽きた。
これで航空券を2枚無駄にして、
アメリカ横断もできない。
とあきらめにいくわけにはいかなかった。
しかし、もう、搭乗開始まで15分になろうとしていた。
もしお金を手に入れても、セキュリティチェックに、出国審査が待ち構えている。
もう頭の中が真っ白だ。
焦りがピークに達した僕は奇怪な行動に出た。
それは空港税を値切るということだ。
可能性は低いが、だまっているわけにはいかない。
とにかく、できるだけ焦って、外人のようにおおきなモーションで訴えた。
「金がないんだヨー!!!」
無理なもんは無理だと断った彼は、
しばらく僕と一緒に途方にくれてくれ、
難なく税を払い、改札を通過していく人の流れを、言葉もなく見ていた。
そして決定的なアドバイスを、その空港従業員はくれた。
やさしそうな韓国人のカップルが歩いてきた。
年も近そうで、話しかけやすそうだった。
そいつらに頭を下げて金をもらえというのだ。
これしかないのは僕にもわかっていた。
普段は、赤の他人にお金をくれなんて、口が裂けてもいえない。
ただ、この場合、そうするしかない。
さもなくば、リマにあと何泊になるか。
ランダムに混じった人間の中から、一人、お金を恵んでもらう。
そういう選択肢を持ってみると、
声をかけやすいのは、もちろん日本人であり、
同じ顔をして、文化背景も似ている韓国人をはじめとするアジア人なのである。
世界各国旅してきた自分でも、こんな場合はやはり人種が意識されるのが、興味深かった。
空港の従業員にけしかけられ、僕は覚悟を決め
ウユニで買ってからいつも身につけている
ハットをうやうやしく取りながら、そのカップルの前に進んだ。
そして、状況を説明して
お金をくださいと言った。
無論もっと丁寧に言ったが。
快諾された。
あまりにもやさしくて泣きそうになった。
それをこらえて50ソル札を受け取り、税を払い終え、
そのおつりと、僕が持っていた5ドルと、人民元20元を渡した。
僕のありったけの持ち金。
渡す手が震えた。
なんとお礼をいっていいかわからなかった。
あまり話す時間もなく、
僕は国際線の方へ、彼らは国内線の方へと分かれた。
その先でもう一度会ったので、連絡先を聞いて
写真を撮って、いえる限りのお礼を言った。
「ありがとうございました。」
最後に日本語で無意識にそう言って、僕は出国審査へと駈けた。
自分の気持ちが言葉にのるのは、
カムサハムニダでもなく、グラアシアスでもなく、ありがとうなのだろう。
かくして、滑り込みで無事にコロンビアへのフライトに乗ることができた。
来し方、行く先で色んな人に支えられ、
僕はなんともいえない気持ちになる。
本当は陸路で行くつもりだった南米の大地を、はるか上空から見下ろしながら
北へと飛ぶ。
あの韓国人のカップルは、
ペルーでボランティアをして二年間住むのだという。
それにしても、やさしい人に声をかけたもんだ。
あの毛沢東がもうトラブルを起こさないように、
そして二人のペルー生活が充実しますように。
決まっていつも座る窓際の席から、雲に沈む太陽をのぞきながら、
雲の上にいるという神様にお祈りした。
クスコからの夜行の疲れもあったからか、
しばらくすると、すぐに眠りに落ちた。
さわやかか!! |
男前。 僕がね。 うそです。 |
機内で飲んだコロンビア産のビールと機内食。 |