2010年9月14日火曜日

9.7~8

9.7~8



Welcome to Kenya!
初の陸路国境越え。

8時からエチオピア出国審査+ケニア入国審査(25$)の後、バスに飛び乗る。

トラックの荷台じゃなかっただけマシだったが、トラックを改造してバスにしたみたいな車だった。

前日から席を予約していたので、一番ゆれが激しい後ろの6席を与えられてバスに乗り込む。

出発して30秒以内に、自分の感覚を疑った。

バスは、揺れるというか、むしろ飛んでいる。

そしてそのバスが飛ぶたびに最終列の日本人6人は、

天井に向かって数10cmとびあがり、その後木のように硬いシートに叩きつけられる。

そのたびに体の中で横隔膜に衝撃が伝わって、わき腹が痛い。。。

バスが走っている道は、異常なほどデコボコだった。

バスに見立てた(?)トラックやん。
車内ではアフリカ人も必死。
支えにつかまらないと、体を固定できない。
ひたすら続くオフロード。

阪神大震災の震度が7だとしたら、10くらいの揺れだ。
水が入ったペットボトルを口元に持っていくことすら困難だった。

そして、ゆれによって閉まらない窓から、バスが巻き上げた大量の砂埃が吹きつける。

地獄だ。

これが24時間続くのかと、体が耐えられる自信がなかった。

4時間ほど耐えたあと、前に空席ができたので、座ると揺れはだいぶましだったが、

それでも、揺れのせいで一切寝ることができない。

最後の5時間くらいナイロビが近づいて、舗装道路に入ったときは、

エチオピア人もケニア人も僕たちも拍手喝采だった。

やっぱりアフリカ人もの道はつらかったんだろうと思う。




一同へとへとになってナイロビに着いたのは、翌日朝の6時。

ナイロビは世界でも、最強クラスの治安の悪さなので明るくなるのを待って、

タクシーで日本人宿ニューケニアロッジへ。



そこで、日本から来てアフリカを僕と一緒に旅をする予定のよしいえと落ち合う予定だった。なんとか9月8日の約束に間に合った。

この日に間に合わすため、エチオピアでの移動はまきにまいた。

宿のロビーには見慣れた顔のやつがいた。

先についていたらしい。



よしいえは高校からの同級生で、親友になるのかな。

本当は嫌いになっていてもおかしくない、目立ちたがりのあほなんだけれど奇妙なことに性格が全く違う僕とこいつは、なんのきっかけなのかいつからか仲良くなって、やつが東京に行ってからもかなりの頻度で会ってきた。

いまだに仲がよくなった理由はわからないけれど、高校のとき、やつとナイロビで集合して、アフリカを旅する機会があろうとは思わなかった。そして現に今一緒に南アフリカを目指していて。

人のめぐり合わせはおもしろい。旅をしていると、これまでしてきた旅の中で人生の方向性を変える出会いがあったと語る人は多い。

僕たちはその類ではないにしろ、やはり大阪の十三で出会い、アフリカの街で会うことは、感慨深いことだった。



彼が右のもみ上げに「右」とそりこみを入れた理由は
僕には聞かないでください。
彼が左肩に「魔法瓶」とヘナをした理由は
僕に聞かないでください。

彼は夏休みなので、9月いっぱいまでの3週間で必死にケニア→タンザニア→ザンビア→ナミビア→南アフリカとめぐる予定を立てた。

この日は他のバックパッカーと話したり、

翌日のマサイマラ国立公園でのサファリを予約して終わり。



ナイロビの街はかなり危険らしい。強盗なんかもしょちゅう起きる。と聞いていた割りにはだったが、確かに、今までの街よりも都会で、圧迫感のある雰囲気ではあった。



明日はサファリ。

時間の都合もあり、1泊2日で行くことにした。

宿のツアーをもうしこんだ($180)

ケニアはなんと言っても、動物。まあそれとあとマサイ族。

動物園のどこか悲しい顔をしている彼らと違う、野生の動物。

特に見たいのが、野生のサイ。

子どものときに読んでもらった絵本「かんちがい」の影響で僕はサイが好きです。

楽しみすぎる。

それにしても、何十時間もの移動のあと、一日も空けないで早朝からサファリに出発って。どんだけタイトな旅やねん。

まあめちゃ楽しいからええねんけど。

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