2010年12月28日火曜日

12.13

12日昼(20時間3000円)の便でペルーの首都であるリマに向かった。

コロンビアのボコタへのフライトが13日17時にあるからだった。
大陸の西海岸にあるリマに行けば、高い標高ともおさらばだ。

道は登ったり降りたりして、それにしたがって、
バス内のサービス用の水のペットボトルがさわりもしないのにバッコンベッコンと音を立てた。
耳抜きしないと時々耳が痛くなる。
高山病で死にかけていたポトシが懐かしく、下界に降りるのは少し名残惜しい。
でも最近日焼けで唇が切れていてものすごく痛いので少し嬉しい。

ご飯がついていて、シートも倒れるいいバスだったので、
アンデスを下る途中豪雨に見舞われたときに、
ちょうど僕の頭上から雨漏りした以外は快適な(?)移動。

こういうイカツめ道を行くわけです。

まあなんか大雨なんですが、
これがおもちゃカメラの限界です。
自分の体がぬれたことよりも、ちゃんとした水路のない山道を
大量の泥水が道路を流れていくのが面白かった。

リマの町は都会だった。
着いたバスターミナルがどこかもわからないまま、人の流れにのって歩いていた。
リマの情報としては、クスコと同じくアルマス広場が中心っぽいということだったので、
聞きながら歩いていくことにした。

荷物は嫌になるほど重いが、僕はリマで空気を手に入れた。
警察が多いので、道を聞きやすい。

「ドンデ エスタ プラタ デ アルマス??」
多分間違ってるけどこれで通じる。

リマの町はなんかおしゃれな人が多いのと、アフリカ系の人も多かった。
ここには風呂敷のおばあちゃんは見当たらない。

アルマス広場に歩いてたどり着いたが、とくにヨーロッパ風で変わり映えしないので
ベンチに座ってボリビアで買ったギターを弾いていた。
ジュース屋台。
うまかった。

アルマス広場。
リマに興味がなくなったので空港に向かった。
空港のベンチで眠り、起きたらwifiを見つけてネットして、チェックイン時間になったので
列に並ぶ。

リマのなんちゃら空港。


航空会社はコロンビアのアビアンカ航空である。
長い列ができていたのでかなり待った。

プリントしたe-ticketは持っていなかったが、パスポートを出すとすぐに発券してくれ、
荷物を預け、ゲートの方に向かう。
国境を越えるのはこれで何回目だろう。
すでに搭乗開始まで1時間をきっていた。

飛行機の搭乗前の一連の流れはいつも緊張している。
頑張って節約している中で何万もする航空券を買い、
それに何らかの理由で乗り過ごしたらアウトという状況のプレッシャーが未だにある。
ケチすぎるのか、臆病なだけか。

などと考えているときに限って、そういうことは起こる。

世の中の仕組みが進化するにしたがって、
バックパッカーの旅のスタイルも変わってきた。

たとえばこのブログも、一昔前なら帰国してから書くしかなかっただろう。

お金に関してもそうだ。
citibankなどの国際キャッシュカードがあれば、どんなに遅れた国でも、
銀行に行けばたいていのATMで現地通貨が引きおろせる。
昔のように米ドル建てで両替を繰り返す必要はないのだ。

だから、僕も、米ドルキャッシュはすでにチェックインした荷物の中にしまってあった。
財布にあるのは、ペルーで余ったお金、70ソルと、5ドル、そして20元。

これが全てだった。

いつもどおりなら、まず手荷物検査があるのだが、
その前に改札があり、リマの空港税なるものを払わないといけないことがわかった。
航空券に含まれている場合がほとんどなのだが・・・。

それでも70ソル(2100円)もある僕は何も心配もしていなかった。

しかし窓口に進んでびっくり。
30米ドルまたは90ソル。
ペルーの空港税が90ソルだということは、
どこかに書いていたのかもしれないが、全く知らなかった。

20ソル足りない。20ソル・・・
600円。

僕はお金を下ろそうとATMに向かった。
ATM・・

ペルーのATMはglobal netという名前のものがほとんどだが、
citibankのものはペルー滞在中一度も使えなかった。
さらにはVISAカードのキャッシングも拒否される。

それ以外のATMは空港内にはなかった。
少なくとも焦りつつある僕の目にはうつらなかった。
もうATMを探し回っているうちに搭乗開始30分前をきった。
僕は方針を変え、銀行へ行き、
クレジットカードからキャッシングをしようとしたがこれも無理だった。

あるいは、どこかショップを探して、
客に頼んでその人のかわりにカード決済して現金を得る。
人が少なく、店も少ないので現実的じゃなかった。

頭がフル回転しているが、皆空回りだ。
金がないもんはない。

情けなくて、涙目になってきた。

僕は今日コロンビアに行って、
明日コロンビアからアメリカのオーランドに飛ぶのだ。
アメリカでは、友達に会いレンタカーで横断とか、たくさん約束をしてある。

この飛行機で飛べなければ、なにもかも狂う。
たった600円が払えないばかりに。
口座にはまだ何十万円もあるのに!

僕は、財布の中に、
パラグアイ2000グアラニー(ちなみに一ドル以下)
5ドル、そして中国人民20元があることに気づいた。

8月にエジプトで会った佐野さんが中国人と大喧嘩するきっかけになった
トラブルメーカーは未だに僕の財布の中に居座っていた。
なつかしい。
エジプト、ダハブにて。
まだ8月の終わりくらい。
5ドルと、人民元を全部両替すると20ソルにはなるんじゃないか。
すぐさま僕は両替所へ走った。

そして、もらったお小遣いで駄菓子を買うガキのように
カウンターにありったけの小額紙幣を、勢いよく並べた。
「ソル、カンビオ、ポル ファボール!」

片言じゃない点で、お腹が空いたガキの方が、幾分か汚い旅人よりマシだ。
自分の顔が青ざめているのが見なくてもわかる。

すると、従業員はスペイン語で何か答えたが、わからないというと、
英語で「We can't take this」

そう言う彼の手の中には、
小太りの男の顔がゆらゆらゆれていた。
これほどあの毛沢東が憎くなった瞬間はこれまで人生でなかった。
人民元は両替できなかったのだ。

万策尽きた。
これで航空券を2枚無駄にして、
アメリカ横断もできない。

とあきらめにいくわけにはいかなかった。
しかし、もう、搭乗開始まで15分になろうとしていた。
もしお金を手に入れても、セキュリティチェックに、出国審査が待ち構えている。
もう頭の中が真っ白だ。

焦りがピークに達した僕は奇怪な行動に出た。
それは空港税を値切るということだ。

可能性は低いが、だまっているわけにはいかない。

とにかく、できるだけ焦って、外人のようにおおきなモーションで訴えた。
「金がないんだヨー!!!」

無理なもんは無理だと断った彼は、
しばらく僕と一緒に途方にくれてくれ、
難なく税を払い、改札を通過していく人の流れを、言葉もなく見ていた。

そして決定的なアドバイスを、その空港従業員はくれた。

やさしそうな韓国人のカップルが歩いてきた。
年も近そうで、話しかけやすそうだった。
そいつらに頭を下げて金をもらえというのだ。

これしかないのは僕にもわかっていた。
普段は、赤の他人にお金をくれなんて、口が裂けてもいえない。
ただ、この場合、そうするしかない。
さもなくば、リマにあと何泊になるか。

ランダムに混じった人間の中から、一人、お金を恵んでもらう。

そういう選択肢を持ってみると、
声をかけやすいのは、もちろん日本人であり、
同じ顔をして、文化背景も似ている韓国人をはじめとするアジア人なのである。
世界各国旅してきた自分でも、こんな場合はやはり人種が意識されるのが、興味深かった。

空港の従業員にけしかけられ、僕は覚悟を決め
ウユニで買ってからいつも身につけている
ハットをうやうやしく取りながら、そのカップルの前に進んだ。

そして、状況を説明して
お金をくださいと言った。
無論もっと丁寧に言ったが。



快諾された。



あまりにもやさしくて泣きそうになった。
それをこらえて50ソル札を受け取り、税を払い終え、
そのおつりと、僕が持っていた5ドルと、人民元20元を渡した。
僕のありったけの持ち金。
渡す手が震えた。

なんとお礼をいっていいかわからなかった。
あまり話す時間もなく、
僕は国際線の方へ、彼らは国内線の方へと分かれた。

その先でもう一度会ったので、連絡先を聞いて
写真を撮って、いえる限りのお礼を言った。

「ありがとうございました。」

最後に日本語で無意識にそう言って、僕は出国審査へと駈けた。
自分の気持ちが言葉にのるのは、
カムサハムニダでもなく、グラアシアスでもなく、ありがとうなのだろう。


かくして、滑り込みで無事にコロンビアへのフライトに乗ることができた。
来し方、行く先で色んな人に支えられ、
僕はなんともいえない気持ちになる。

本当は陸路で行くつもりだった南米の大地を、はるか上空から見下ろしながら
北へと飛ぶ。

あの韓国人のカップルは、
ペルーでボランティアをして二年間住むのだという。
それにしても、やさしい人に声をかけたもんだ。

あの毛沢東がもうトラブルを起こさないように、
そして二人のペルー生活が充実しますように。


決まっていつも座る窓際の席から、雲に沈む太陽をのぞきながら、
雲の上にいるという神様にお祈りした。


クスコからの夜行の疲れもあったからか、
しばらくすると、すぐに眠りに落ちた。



さわやかか!!

男前。
僕がね。
うそです。
機内で飲んだコロンビア産のビールと機内食。

12.8~12.12

12.8

プーノから、クスコへの道中はとっても寒かった。
その寒さはもはや異常だった。

しかも二階席の一番前の席で、前も右側もガラス張りでとっても冷たい。
我慢していたが、何度も寒さで目が覚めた。
これは風邪ひくんじゃないかと思った。

左に子連れお母さんが座っていた。
シートを倒し、インディオの女性が皆持っている派手な風呂敷と、
大きな毛布をかぶってぬくそうに眠りいっている。
彼女たちを横に僕は凍えそうだった。

購入していたアルパカの手袋や、ヒートテックを着ているのだが、まるで歯が立たない。
僕はいつも車内の防寒着には気を使っているのだが、これは寒すぎる。

僕は我慢できなくなって、左隣のインディヘナお母さんの毛布にほんの少しだけ潜り込んだ。
イスラムやインドの女性にもしこんなことをしたらもう大顰蹙を買うし
白人女性だったらきれるだろう。

次起きたときには、もう寒くなかった。
彼女がその毛布をかけてくれたからだ。
バスの席で、インディオキッズとそのお母さん、そして僕は一緒の毛布で眠った。
そういうナチュラルなやさしさに、毎日続く激しい移動によって、すさんだ心もやわらかく解けていく。

ここの人たちは寛容なので嬉しくなった。



クスコに着いたのは早朝の2時。

バスターミナルの客引きが10ソルでホットシャワー、wifi、キッチン有りの宿を
宣伝してきたので、ついていくことに。
インディヘナの客引きはいい人が多いと僕は経験から決め付けている。。

タクシーに乗って着いた先は中心から1kmほど離れ、宿というよりは一般家庭が住む家。
三階建てのその民宿は子どものためのアルファベット表がリビングに張ってあったり、
キッチンはその家庭も一緒に使っているものでした。

観光客はなぜかほとんど泊まっていません。
微妙なところに来てしまったなというふうな第一印象でした。
地球の歩き方に乗ってる宿、少し高いからまあいいか。

本当に10ソルでちゃんとした設備があるのかとか、色々疑問を持っていたのですが、結論から言うと、設備は決してよくなかったが
僕はこの宿にすっかりはまってしまい、
さらに街の雰囲気にはまってしまい
珍しくここクスコで4泊もすることになったということです。

一つの街に4連泊することはこの旅で初めての経験です。
ところが、ブログのために文章にしようと思うと、これが困る。

クスコに来る旅行者の90%位はここからアンデス山脈中を数時間移動した
世界中の憧れの大遺跡「マチュピチュ」へ行く。

しかし僕はクスコから動かず毎日、同じようなことをしていたからである。
マチュピチュなどの遺跡には、あんまり興味がなかった。
ここまで来たんだ!!これこそ南米!!みたいな感じは確かにあると思う。


でも、遺跡に関してはビデオを見ていたほうがおもしろいんじゃないかと、
僕は思ってしまう気がするのだ。
マチュピチュに今も生活している人はいない。
今も生きている街が好きだ。


クスコから安く、日帰りで行けるなら喜んで行ったがマチュピチュへ向かう電車は往復1万以上かかる。ペルーの物価からしたらどんなに高いかがわかる。

途中までバスで行ってそこからトレッキングっていうのはそそられたが、
僕の場合、日にちが足りなかった。

マチュピチュに行かなくても、クスコは僕にとって心に残る町だった。
日ごとに分けても同じことを書いてしまいそうなのでまとめての記事にしようと思う。

クスコに来た理由は、
3週間前にここを訪れた日本でお世話になっている先輩の置手紙を手に入れるためだった。

深夜の到着から僕は昼過ぎぐらいまで眠っておきだし外に出ると、
民宿の家族の子どもたちが遊んでいる。

外に出ると、標高の高さが感じられる、抜けるような青が目を洗う。
古い歴史が匂ってくるような石畳が敷かれた狭い坂道を
車が駆け抜けていく。
その度に通行人は左右の幅のわずかな歩道によける。



街の中心はアルマス広場という大きな広場。

そこまではちょっと歩くが、朝昼兼用のチョコレートを買い、
ペルーの定番INKA COLAを飲む。
子どものときに飲んだなんとかっていうジュースに似ていて、僕のお気に入りである。
インカコーラ。
アルマス広場に出ると、急に視界が開ける。
ここがインカ帝国の首都だった時代から街の中心だったが、
精巧な石積みで有名なインカ時代の建造物はスペイン風に置き換わっている。
アルマス広場
毎日歩いた街に向かう狭いこの道。

毎日ここに座って絵を描いている人。

負われるこども。
僕はその先輩の指示通り、中心の旗棒の近くにある、世界遺産認定碑の裏側を探った。
30分くらい、後ろの植え込みの中さえ探したが、
見つからなかった。多分風で飛ばされたんだろう。
管理人みたいな人に、芝生の中に入るなと注意されるまで探したが、なかった。
楽しみにしていたのでかなりがっかりした。
後ろの花壇をあさってしまった。

中心部ではとてもツーリスティックで、数m歩けば女性に「マッサージ?」と誘われた。
がっかりしながらも、正直そそられないこともなかったが、
マッサージされる金を惜しまないなら、
クスコで何が嬉しくて毎食30円の中国製「出前一丁」を食べるというのかw


さて。
どうでもいいでしょうが、僕がクスコが気に入った理由をあげます。

1ご飯

たいてい出前一丁を食べていたが、
中心部から外れたローカルレストランはおいしくて
100円くらいでかなりがっつり食べられる。
中心部で目に付くピザ屋は観光客向けで、高い。

トルーチャという、ますを揚げた料理がよく食べられる。
魚好きの僕にはたまりません。

あと、アボカド。南米で食べるアボカドは濃厚である。

日本食レストラン「けんちゃん」で食べたその名もインカ丼(トルーチャの切り身+アボカドとご飯)は高いが、これはうますぎた。

ああ、うますぎた。

トルーチャのあげもの。

インカ丼。
トルーチャとアボガド。

ペルーのお酒ピスコ。
甘い酒が苦手なことを再認識。
2、お買い物

アメリカで日本から来る友達に会うのでおみやげを買うのが楽しかった。
物価は少し上がるが、ボリビアクオオリティ<ペルークオリティである。

ある店でお気に入りのポンチョを購入するために1時間粘って購入した。
実際180ソルのものを100まで落とした。
時々語気を強め合うなかなかの死闘だったが、戦いの後は仲良く肩を叩き合った。

土曜日にはローカル市場があるというので行ってみた。
治安が悪いと聞いていたが、のんきに一眼レフぶら下げていったら
よく気をつけろと注意された。

なかはもうごちゃごちゃしていて、確かに危ない気がした。
いい感じのセーター(趣味が悪いかもしれない)を購入して、あと靴下も購入した。

他にも買い物たくさんしたが、
おみやげになるのであんまり書かないでおこっと。
土曜市。

市場のお店。
こわい。

右のおっちゃんに値切り続けて、
買ったポンチョが左の兄ちゃんが着てるやつ。
約3000円。
市場の買い物帰り。
おばちゃんのふろしきはいっぱい。
左の人は赤ちゃん入れてる。

市場。
ごっちゃごちゃ。
野犬5匹を従えて歩く男性。
なんだったんだ。
3.楽器

アンデスの楽器ケナ、サンポーニャなど豊富。

僕はケナを市場で買って練習していましたが、酸欠でフラフラになる。
ケナ。
尺八とほぼ同じ。
4.子どもギザかわゆす

僕はペルーのおだやかでやさしい人たちが大好きだ。
その大人たちの間で、子どもたちが元気で、人懐っこい。
そして目がきれいだ。

僕が滞在した家はもはやゲストは僕しかおらず、
朝起きて1階へと降りると子どもたちがとても嬉しそうに駆け寄ってくる。
彼らと遊ぶのがクスコで一番楽しかった。

一家団欒でご飯を食べ、子どもは学校の宿題をリビングでしたり、
起こられて大声で泣いていたりする。
僕が朝食に食べていたシリアルを一緒に食べたりもした。


インディオキッズは僕が見た中でかわいさ暫定世界一である。
人懐っこいし、素朴だし、元気。

インディオおばちゃんは、子どもをたくさん生んでド派手な風呂敷でいつも赤ちゃんをじかに背中に背負っている。
たいてい風呂敷の中の赤ちゃんは安心したような顔で眠っていて、
それを見るたび僕はほっとした。

お母さんと子どもが肌で触れ合うことがこどもにとって重要だと言われるが、
インディオおばちゃんと子どもは強く結ばれている気がする。

物心がつき、言葉と論理が心を占める前に
母親から与えられる、そういう無言の安心感みたいなものは多分成長の過程でとても大事なんじゃないかと思う。

インディオキッズのかわいさがふろしきで包まれて背負われて育つところから
来ているんじゃないかと思うのは、外から観察してなんでも美化したがる、旅行者のエゴかもしれない。
クスコで泊まった民宿の兄弟。
もうかわいすぎて持って帰りたかった。
やんちゃなデイエゴ氏。
名前を聞いても教えてくれないので、
彼の口癖が「クアトロ!」(スペイン語で4の意)であることから、
僕がクアトロ氏と命名。
彼は車の絵や、蝶の絵を指差して
「クァトロ!!」と自信ありげに言う。
お母さんにあーんしてもらう、
クアトロさん。
僕のボウシをかぶるキャティーちゃん。

3階まで上がってきて僕の部屋に侵入してくる
キャティとクアトロ卿。
靴下やさんでで出会った女の子。

靴みがきやさんと、その子ども。

土産もん屋のあかちゃん。

びっくりしてる。

長男とお母さん。

オーナーと僕。


4.モテる。

ペルーの女性に日本人男性がちょっとモテるというのは聞いたことがあった。
そして実際街を歩いていると、一緒に写真をとって欲しいとか言われたり、
日本に興味があると話しかけられたりした。

元大統領のフジモリさんの影響や
インディヘナと日本人の顔が似ていることが原因なのかなと思うが、
もちろん、悪い気はしなかったw

エヘヘ。

もっと書くことはある気がするが、早くアメリカ編に追いつきたいのでこの辺にしておきます。

よい年末を!!

2010年12月25日土曜日

12.7

メリークリスマス!!!!
ですが、僕は全く関係ないペルーの記事を書きます。
現在地はアメリカのグランドキャニオンから、
ラスベガスに向かう途中、高速から降りてルート66のカフェです。(でした)

一緒にアメリカを横断している2人がランチしているのを見ています。
僕はwalmartで買ったバナナ~~♪
ああ腹減った。カジノで勝つ。
ウィリアムスって町。

こんな道をずーっと。

ブログはだいぶ後れていますが、アメリカに居る間に必ずや書き上げて追いつきます。



12.7日、チチカカ湖にプーノにて朝からウロス島へのツアー30ソル(1sol=30円)に参加。

標高3800mに存在するチチカカ湖はボリビアとペルーの国境をまたがっていて総面積は8560平方kmもあり、これは兵庫県より大きいらしい。
最近、都道府県でたとえるのはまってます。

そんで、僕が訪問させてもらうのは、湖に文字通り浮かぶ浮島です。

そこに住む人々はトトラという湖に茂っている葦で自分たちの島を作り、
その上にトトラ製の家を建て、トトラ製の船で移動し、トトラの皮をむいて食べたりもします。

ボリビアで訪れた街より、だいぶ発展した印象を受けたプーノなのですが、
そこから船で10分くらいのところで、未だに古くからの生活を守っている人たち。いや、陸に住んだらええやんと、文明側からは言いたくなったりします。

僕にはとても興味深く思えました。

出発したのは朝の10時。
泊まっていたウロスホテルまで迎えが来て、アメリカ人らしき人たちと、
ブラジル人とプエルトトリコ人とともにモータで動く船に乗ります。

しばらくすると、湖面にその噂のトトラが見えてきました。
何の変哲もないただの葦でした。



いったいどういうきっかけがあって、
この標高3800mの山中にある湖の、葦の上に住もうと思ったんだろうか。

「カミサラキ」と書いた看板は、アイマラ語で
こんにちはという意味だとガイドが教えてくれた。
きっと観光客のために作ったのだろう。

島が点々と存在していて、村の名前もちゃんと分かれている。
40ほどの島がある。どの村にもその村の代表者がいて、選挙で選ばれるという。

船上から見えた島。

目的の島に着いて、船から葦を踏み入れる。
確かに葦だけでできた浮島だった。
浮いてるからといってぷかぷかって感じではなく、地面に深く敷いた藁の上を歩いているみたいでした。

全部トトラっす。
観光客は輪になっていろいろ説明してもらう。
トトラを試食したが、一切味がしなかった。
強いて言えば甘くないさとうきび。 

まず、水面に顔を出すように生えている葦の上部を刈り取り、
浮力で浮いてきた根の部分を分割して運び、その上に切り取った葦を何mの高さにまで寝かせて浮島を作るという。
トトラで作った縄で湖底にアンカーをするという。

ミニチュア版浮島の作り方。

ウロスの人たちは、漁業や農業で主な収入を得ているが、
この観光もかなり重要な収入源らしい。
刺繍などを中心とした雑貨を売る露店を女性たちが開いていた。

村の代表者アンと、ペヘレイっていう魚。
ちっさ!!
小さい島の中を自由に散策。
島にはなんと発電のためのソーラーパネルがあった。
最近は電気も入ってきているらしい。

家の中にも入らせてもらった。
中は板張ってます。
この島の子どもはかわいかった。

少し恥ずかしがりながら、笑って近づいてくる。
子どもが変に大人ぶらずに子どもらしくいられることは、とっても尊いことだと思う。

うしろのお母さんが優しい顔してる。
違う島に移動するためにトトラでできた船に乗る。
これも案外しっかりしている。
ただ、追加料金が取られることは聞いていなかったので注意。

これを葦だけで作る知恵はすさまじい。

警戒気味のお二人。
打ち解けたらとってもかわいかった。

移動した島には、学校とかもあった。
ちゃんと街として、機能してるんだからおもしろい。

湖上で生まれ育った人にとって、陸に上がるのは少し勇気がいることなのだろうか?

彼らはもともとチチカカ湖周辺の陸地に住んでいたが、
スペイン人の支配を逃れるために、湖上に居を構えるようになったという。
きっと知恵のある民族なんだと思う。

穏やなウロスの人たちに強い好感を持ちました。
ゆっくりチチカカ湖クルーズを楽しんだ後、プーノの街に戻った。

30円くらいでかなりうまいご飯を食べて、
市場をほっつき歩く。
ローカルレストランに限る。

肉市場。

プーノの一番大きい教会にあったジーザス像。

ゆったりした気分を楽しんだが、それもつかの間、僕は北のクスコへと急ぐ。
夜中の21時出発、クスコには2時半着の夜行バスだった。

一泊しかしなかったがプーノに来てよかったと思いました。

なんか、小学生の日記みたいになったけど、
これでも頑張っているのでよろしくお願いします。