2010年9月9日木曜日

9.1

エチオピアのインターネット環境はひどいものでした。


1週間以上更新が滞っていましたが、


元気にしていました!
エチオピアで多くの苦難を乗り越えて、今日の早朝、ナイロビに着きました。
友人のよしいえとも無事ナイロビで合流できました。

相変わらずの超タイとスケジュールのため、
写真をアップする時間がないですが、また時間のあるときに足そうと思います。

9.1
今から一週間以上前。

8月31日22時にカイロを立ちました。

今回は、エジプトで知り合ったゆうたさんと一緒です。

彼の紹介は、後日じっくりします。



飛行機は深夜便だったので機内食以外の時間は眠りこけていました。

墜落したかと思うほど、派手な着陸で着いたのは

エチオピアの首都、アディスアベバ。

早朝4時に着いたので、

アライバルVISA(=空港で申請する入国許可 シングル一ヶ月 $20)を取得した後

空港内で、寝袋を出して夜明けを待つ。


ここで初めて寝袋を使用しました。
むちゃくちゃ寒かったです。








































空港からの景色。
案外緑豊かでびっくりした。


エジプトとの気温差はかなりのもので、標高も2300mくらいだそうです。



緑が豊かで気温はパーカー一枚は羽織らないとかなり寒い。

出発してそんなに長いわけではないのに、日本の秋を思い出して懐かしくなった。

旅人面ですね。

街はこんな感じ。
首都でも、村みたいな規模だった。


安宿街までバスで行き、

宿(一泊47ブル=240円)にチェックインして街を散策。

やたら親切にしてくるツーリスト向けのガンジャ(大麻)売りや、

ボブマーリーの誕生日が今日だから祭りについてこいというホラ吹きたちを無視しながら、

街の雰囲気を感じる。



うん。来たよブラックアフリカ。

これまでの国とは、かなり雰囲気が違っています。

当たり前だけれど、黒人しかいない。

エジプトでは、結構見かけたツーリストも見かけない。

なんか独特だ。

この国は、エチオピア正教というキリスト教国で、人々はアムハラ語という独自の言葉を話す。

国境を越えると、文化も言葉がかわるのも当たり前のことだけど、それが面白い。

イスラム圏に比べ、女性がよりイキイキしているのとラマダンがないのが、印象だ。



レゲエ音楽の根幹は、エチオピアから起こったラスタファリ思想なのである。

アフリカ諸国の中で独立の早かったエチオピアの国旗、赤黄緑のラスタカラーを

真似した国は多かったはず。



町を歩いていると、エジプトよりたくさん物乞いに出会った。

道に倒れている人(寝ている人?)もたくさんいた。

治安は、警戒しているもののあんまり悪くはなさそうだ。

だまそうとしてきたり、売春や葉っぱの勧誘はあっても、

武闘派のやからはいない。



が、散策中ひやりとすることがあった。

柔道の真似をして必要以上にボディコンタクトをしてくる現地人がいて、

その周りにも数人いたがよくある過剰な歓迎だと思い

やり過ごした後すぐ、後ろポケットに入れていたカメラケースがないことが発覚。



すられた!

カメラは、前のポケットにしまっていたため無事だったけれど、

ケースがないのは痛いと思い、引き返す。



すると、さっきのエチオピアンが走ってきて、心配していたかのようにケースを返してきた。

ばればれの演技だった。

カメラが入ってなかったのが残念だったんだと思う。



スリはボディコンタクトをされるときに気をつけるようにと、

旅なれたゆうたさんは教えてくれた。

エチオピアビールを飲み干す
ゆうたさん。
エチオピアでの僕の目的はこうだ。

・ ラスタ村という村に行くこと

・ 民族マーケットに行くこと

これを旅の目安にして、陸路で南を目指す予定にした。



エチオピアでは

かなりうまい生ビール(35円)とマキアート(15円)を飲めることに気づき、テンションが上がる。

うまい。日本よりクオリティ高いマジで!!

それ以外はてんでおいしくないけど!!

噂のインジェラは見た目がぞうきんで、すっぱくて、ぼくは無理でした。

一番左のぞうきんみたいなのが、まずいで評判のインジェラ。
エチオピア人の主食。主食なのに発酵していて酸味がすごい。
ライスウィズミートを注文してでてきたのがこれ。


この日生ビールに飢えていた僕は、三杯のビールを飲み、

翌日下痢をした。

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