2011年3月11日金曜日

3.10


3月9日だった。
日本は卒業シーズンだ。
何かが終わって、また始まる季節。


旅に出て7ヶ月半が経った。

色んなことがあった。

何があったっけ?
なぜか、うまく思い出せなかった。
思い出せるのは、直近の、ヒマラヤのことだけだ。

9日深夜に旅でできた二人の友達によってカトマンズの空港まで見送られ、
泣きそうになったがこらえた。
カトマンズで、旅の終わりに、迷惑なくらいの素晴らしい出会いがあった。
胸をかきむしられて、あとをひかれるやんけ。

二人の旅はまだカトマンズから次から次へ地球儀の上を広がっていくのだ。
僕もまだ旅を続けるような気持ちで、次の街へ向けて飛んだ。


気持ちのコントロールがうまくいかない。
別に荒れてるわけじゃない。
でもさあ、行くぞっていう感じでもない。

もっと竹を割ったような気持ちになると思っていた。

ことさら悲しいわけでも、ことさら嬉しいわけでも、
不安なわけでも、自信に満ちているわけでもない。

相対する想念のあいだにさえ区切りがない、アナログな気持ちが、
どの部分がこぼれてくるでもなく、胸の中にわだかまっていた。


とにかく自分の旅はこれで終わる。



中国の広州を経由して、4時間後、島国の上空を飛んでいた。
これからその上に着陸する。


この旅で10回は飛行機に乗った。
上空から、色んな国を見た。


僕がこのとき見たのはその中で
いっちばん緑が豊かで、山と川がたくさんあって、
優しくて、きれかった。


ここが日本。
関空に着いた。
迎えはいなかった。
ポンチョにマハラジャパンツで、道行く人に避けられている気がした。

それにしても、皆、上品だ。
いい服を着ていて、手鼻をかまない。
化粧が濃い。女の顔は皆一緒に見えた。


余ったドルを日本円に換えた。
日本の紙幣が妙にかっこよく見える。


一人で関空快速に乗った。
大阪駅まで1160円だ。高いな。
外は3月にしては寒いな。

車窓からふつふつと懐かしさが沸いてくる。

みかんの樹が民家の庭先に見える。梅が控えめに咲いているのも。
そういえばネパールにも、梅咲いてたな。

関空周辺の空。


空がきれいだった。
日本の春の空は、低くて雲に手が届くみたい。
そういうことあんま知らなかったな。

青い空を見ると、山のことを思い出す。
あの景色。


日本の街はどこも穏やかだった。
まるで、昨日までのひっちゃかめっちゃかした旅が、長い夢みたいだ。
これがもし夢オチやったら、それはそれですごいな。


途中、電車が自分の通っていた大学の横を不意に通ったので驚いた。
そういえば、この路線やったか。
大学にさえ入れば、役柄をもらえたみたいで、安心感があるものだが、
今は大学という響きが妙に権威的に聞こえたりする。
べつにアウトローを気取りたいわけじゃない。


そっから地下鉄に乗り換えた。
そこのおにいさん、見てんじゃねーぞ。
なんか雰囲気がぬるい。

梅田で乗り換えて、御堂筋。
変わってないな。


車内は年寄りが多い。
日本の年寄りは世界一元気だ。
発展途上国なんかはバス移動でも大変だから、なかなか70歳のじーさんばーさんは、
こんなに出かけられない。
というか、多くはもっと早くに病気でなくなるか。

江坂からは歩きだ。

旅で常に履き続けた靴はボロボロで、親指がもう少しで見えそうだ。
もう少しやぞ。

江坂から自宅までの小道は懐かしかった。
懐かしいが興奮はしなかった。
7ヶ月ぶりに日本に帰ってきて、有頂天にならない自分に驚いていた。

家に着いた。

インターホンを鳴らすとおとんが出た。
今日は仕事が昼までだ。

家族が皆そろうので木曜日に帰ってきた。

おとんが迎えてくれた。相変わらず落ち着いた感じだった。
本当は息子が帰ってきて嬉しいはずだ。

おねえは、夜勤明けで疲れて寝ていて、寝ぼけながらおかえりと言った。

「ただいま」
帰ってきたぞ。俺は。

しばらくおとんと話した。
おとんに聞いた。
一緒に住んでいるおばあちゃんが、大腿骨の骨折で入院しているという!!

去年秋にも鎖骨を骨折していて治ったばっかりだったのに、
1月、またばあちゃんは小曽根の街で転んだらしい。
以上のことは旅をしている僕に心配をかけたくないということで、秘密だったようだ。


今更聞かされるほうがまじで心配で、ショックやったけど、
話から察するにどうやら、大丈夫そうだ。

もう人工関節を入れる手術も終えており、歩けるようになってきているって。

ほんまよかった。

バックパックを置いて、姉のチャリですぐに服部の病院へ向かう。
ポンチョは病院には着ていかなかった。
ズボンも探したが、破れたGパンしかなかった。

急げ。

多分僕との再会を一番楽しみにしているのは、
おばあちゃんっ子の孫をもつ、
孫っ子のおばあちゃんに違いないのだ。

旅の最中もブログを真面目に書いていたのは、おばあちゃんが楽しみにしていると聞いていたからだ。

病院にはおかんがいた。

おかんの表情からは、一年分、息子のことを案じたあとの安堵感が見てとれた。

ばあちゃんの部屋に入った。

僕があまりにも、日に焼けているのと、雰囲気が変わっているので驚いていたが、
すぐに元気に話してくれた。


楽しかった。
きれいやった。
最高やった。
そんで、俺ちゃんと帰ってきたよ。



たくさん話した。
一時間以上。
おばあちゃんは全然変わってなかった。

病院の夕食を食べているときに僕が入ったもんだから、
途中で胸がいっぱいになって食べられなくなった。

なので、遠慮なく僕が食べた。

帰国後初めて食べた日本食は、
病院食の白米と、がんもどきだった。

めっちゃええ顔で笑ってくれた。


涙が出るくらい旨かった。
作ってくれた人にお礼が言いたくなるくらい。
お門違いか。


おばあちゃんは元気だった。
よかった。リハビリほんま頑張って。
ほんではようち帰ってきてくれ。

またすぐ会いに行こう。
もうこけんなよ、なあ、ばあちゃん!!!!

寂しいだろうに強がって、早くご飯たべてきぃと、
僕とおかんを送り出した。

帰ったら、今度は、ほんとの夕食。
刺身にとんかつ。野菜。
親父とアサヒを飲んでタバコ吸って、旅のことを、感じたことをお互い話した。
話は終わらなかった。

チュクンリで遭難して、もう死ぬと思った話。
トレッキングした話。
友達の話。


風呂にはいった。垢がすげぇ。
怖かったので、お湯を入れ替えた。

自宅はwi-fi free、ホットシャワー、浴槽有り、
布団有、こたつ有、

宿泊費無料の最強のアジアの安宿。

皆ほんまに心配してくれてたみたいだ。
家族ってええな。
心配かけてごめんなさい。

僕の心はこれでもかってくらい安らいだ。
でも、今は逆に家にいるせいで興奮していて寝られない。


もーいろんなことが頭をよぎる。
日本のことも、旅のことも。
あいつどうしてるかとか、
ブログかかなとか、
部活がどうやとか、
お土産買うの忘れてたとか。


まあ、とりま落ち着け。





そしてまたおかんに話す。

ああ、
楽しかった。
きれいやった。
最高やった。

ほんで、俺ちゃんと帰ってきたで。
ちゃんと医者なるからな。

それから、ばーちゃんもうこけんなよ。




いろいろ書きましたが、
僕は帰国しました。

大阪に、この先、当分滞在することになりそうです。
まだ、自分が旅している気がします。
ですが感傷にひたっている場合ではないです!


さて、そんなことよりヒマラヤ編書かんとなぁ。

2011年3月8日火曜日

2.12

カトマンズを出発する朝。起きたのは7時半。
6時に起きるはずだったので少し寝坊した。

ゲストハウスにトレッキングに必要のない荷物を預けて、
8時前に出発。
ジリへの最終バスが8時半だということなのでまだ間に合うはずだ。

カトマンズで出会った出発日が同じだった、こちらも単独ジリ組トレッカーユウヒと共に宿を飛び出て、
急ぎ足で向かうと、8時40分発のバスに間に合った。(375Rs)

バスターミナル

果物売りのおっちゃん。

外でチャイを飲んで、やはり遅れてバスは出発した。


最初がら空きだった車内はカトマンズ市内でこれでもかというくらいに客を拾っていく。

1時間のうちに10kmも進まなかった。
僕としても、今日はジリに移動するだけでいいので特に焦らない。
カトマンズには緑が少なく、車やバイクがまきあげる砂埃や、排気で空がかすんでいる。

市外に出ると、ネパール人たちの生活感があふれた村が窓の外を流れていく。


車の中は運転手の好みで流れてくるネパールの音楽。

できの悪い舗装道路のために揺れる窓にぶら下がったカーテンやおっちゃん達のカラフルなダカトピという帽子ののった頭、女性の長い髪の毛が、そのリズムに合わせて踊っているみたいだ。

エキゾチックな音楽で、これから都会のカトマンズから、
山奥の村へ向かっているという気分を増して、楽しくなってくる。

これぞ、アジアだっていう雰囲気。


僕は外の景色を見ながらしみじみした気持ちになっていた。

まるで日本を旅立つ日、空港に向かっているときのような晴れた気持ちで、これから出会う人や、景色に思いを馳せた。


乗客は皆親切で、言葉は通じなくても、目が会うと、微笑してうなづいてくる。

おーそうかそうかって。

しぶかったおっちゃん。


途中、数回の立ちしょん休憩と、ダルバートとマトン(150Rs)を食べた。
カレーやんけと思った人は
シェルパにぶっとばされましょう。
ダルバート屋で働いていた子たち。


比較的大きな村もいくつかバスは経由し、そこで人々が乗り降りしたり、
バスの屋上に積んでる、大きな荷物や材木、バイク(乗っていけや)を降ろすのに、かなり時間がかかった。

周りのネパール人と話したり、写真を撮ったりして楽しんだ。


泊まったある街では、幼児にたいするポリオの経口生ワクチン摂取の大きなキャンペーンがやっていた。

目薬のような試薬入れを持ったナースのもとに、泣き叫ぶ赤ちゃんが口に垂らした一滴は将来、その子を小児麻痺から救うことになる。

まだ17才だというナースたちに囲まれてデレデレしていたが、
彼女たちはとても流暢な英語を話した。

日本のナースたちよりも語学力はあるみたいだ。
将来日本に来て研修する予定らしかった。
ナースたち。

羽交い絞めにされて、一滴飲まされる。

泣いてました。


バスは、排気を上げ、クラクションを鳴らす。

これが再集合の合図で、手持ち無沙汰そうにそれぞれ暇を潰していた乗客たちは、
のそのそとバスに集まり、やがてバスは発進する。

休憩で会った女の子。

荷物番のにーちゃん。

バイクを下ろす際に集まってきた野次馬の
おっちゃんの服装シブイ。

皆助け合ってます。

次第に険しい山道へ入っていく。
それにつれて景色もいかつくなっていった。

こういう厳しい環境の中にも人の生活はあって、赤ちゃんを背負っておばちゃんが一人で山道を歩いている。

結婚式の行進にもすれ違った。

これから向かう山域が厳冬期だということを忘れそうな陽気が窓からもれてくる。

春霞なのか、ただの埃なのか、
深い谷に作られた棚田を見下ろすと白く霞んでいた。


今、自分がエベレストに近づいていると思いながら山を見ていると、何度も鳥肌が立った。

そこに赤い太陽が沈む。霞む太陽のせいで真っ白のなかで、
山に沈んでいるんであろう太陽の半円が際立ってきれいだった。

ユウヒも僕に負けず劣らずの感動屋で、横で声を上げていた。
まだエベレストも見てないのに、こんな感動していてコイツは大丈夫だろうか。

窓から撮った。

農村。

夕日です。


ジリに着いたのは18:30で10時間もかかってしまった。

ここが飛行機を使わない人たちが用いるトレッキングルートの起点の町だ。
ポリスのチェックを受けて、バッティと呼ばれる、宿泊とレストランを兼ねた安宿に入った。

ポリスのチェック。


夜はエベレストビールとチャーハンを食べた。

ルートの計画を立てていると、ガイドをしている人がたくさん情報を教えてくれた。


ネパール人の観光客っぽい4人のおっちゃんたちにネパールの酒を飲ましてもらった。
ネパールの焼酎であるロキシではなく、エルレとかなんとかいう、着火するような50度もあるお酒だったが、
景気づけにいただいた。うまかった。
山小屋で飲んだエベレストビール。


めっちゃええ時間やった。


ネパール人には民族がたくさんいるが、日本人と同じ人種の人たちも多いので、
かなり親しみやすいみたいだ。

少し盛り上がりすぎてベッドに行くのが遅くなった。

宿ではユウヒのipod touchで音楽を聴いた。

これからは電源がないので音楽もないし、本しか暇つぶしがなくなるからだ。

ユウヒが好きだというボブディランを聞きながら、
僕の今回のトレッキングのサブテーマは
「Knockin' on Heaven's door」にすることにした。
5000m以上は、過酷さもそうだし実際にも天に近いのだ。

ユウヒのテーマ曲は
「Like A Rolling Stone」に僕が強制的に決定した。

クレバス怖いなぁ。
雪用の装備ないなぁ。
どんな20日になるんやろう・・・。


あれこれ想像膨らましてる間に寝てしまった。


2011年3月6日日曜日

下山しました。


無事に帰ってきました。

今帰国の航空券を探しています。



さて、歩き続けた20日間。

ヒマラヤの薄い酸素と濃密な時間、

最高の友達ができたこと。





僕の7ヶ月の旅のなかで、
いっっっちばん深く深く心に刻まれました。

もうその他がぶっ飛んでしまいそうです。


それくらい一生忘れられない体験でした。


これが旅の最後でよかったなぁー。

伝えたいなぁー。

ああ。


それにしてもカトマンズの停電は困るなぁ。
ブログ全然書けないんです。


そのうち、気が向いたら
20日間毎日手帳に書いていた日記をアップしますー。

写真も死ぬほど撮りました。
何度も雪と氷で足をとられながら。

トレッキングという、言葉からは想像できないくらい闘いました。
山と、自分と。

ゆっくりと、一日ずつエベレストの麓に近づいていくさまが書きたいなぁー。

-20℃の薄い空気を吸い込んで、
毎晩うなされるような日々から下界に下ってみると、

あんなに楽しみだった酒も、日本食も、ビールも、タバコも
全然うまくなくて、達成感はないわけじゃないのに、むなしくて、
今日は一人で部屋の壁を蹴ったり物を投げたりして。


朝起きたら、今日は歩かなくてええんやと、
安らぐと思ってたのに。


ほんとになんなんでしょうか。

自分でもわかりません。

戦友ユウヒと下山後、日本食を危うく吐くまで食べた。
日焼けと疲労感がやばい。


さしあたり、
僕が今、カトマンズで日本より、山シックにかかっていることと、
帰国が10日前後になりそうなことを報告します。



ああ。
なんやろこの感じ。


もっとガツンと来いや。
なんか足りへんねん。


トレッキングの最中。
タムセルクの頂をのぞむ。
まだこれくらいの写真にしとくか。