ジンカへのバスは大変だということはわかっていた。
まず、5時にバスターミナルは開門するのだけれど、
その瞬間、待ち構えていた乗客たちのダッシュが始まるらしい。
朝着いてみるとまるで、正月の福男レースばりである。
灯りがないので、よくわからなかったがかなりの人数だった。
ツーリストなんていやしない。
夜明け前にぞくぞくと人が集まる。 黒人は暗闇にとけるが・・・ |
こんなひとだかり。 これからレースが始まる。 |
席をとれたら10ブルほしいという席取り男にも一応頼んでおいたが、
自力でとるのが一番いい。
開門とともに、足音が鳴り響く。
「ジンカ?ジンカ?」
とドライバーらしき人たちに聞いて回り、ついにジンカ行きのバスを発見。
体当たりしてくるエチオピア人たちによろめきながらも、
バックパックをうまく使ってはねのけていく。
人種を超えた仁義なき戦い。
負けたものは、また明日4時に集合。
この街で足止めされてたまるか!!
ここ一番の力を出した僕たちはついに一番後ろの席を確保できた。
確保できなかったエチオピア人が、まだまだなだれ込んでくる。
僕とゆうたさんは一息ついて、お互いの労をねぎらい、出発を待った。
すると、なにやら、僕たちのことでバスの関係者たちがもめている。
「出ろ!お前らチケットもってないやろ!!
皆チケットもってんねんぞ!ええからはよそこどけ!明日のバス乗れ!」(関西弁)
僕の腕をぐっとつかんで、バスから降ろそうと朝5時とは思えない剣幕で怒っている。
エチオピア人にマジ切れされている。
うん。なかなかの迫力ですね。
今までのバスは前売り券など必要なく、席の確保をした人が、車内でチケットを買っていたのだ。
嫌がらせか、席を取られたのが納得いかなかったのかどっちかだろうと思った。
ほんとに体を張ってようやくゲットした席だし、こっちも今バスからひきずり降ろされ今日ジンカへ行けなくなると、かなり予定が押してくる。賄賂を払うことも考えて交渉を続けた。
10分以上抵抗したが、結局本当にチケットを前売りで発行しているらしく、人数が多すぎると途中の検問に引っかかるのだそうだ。
悪いのは自分たちだった。ごめんなさい。
荷物を外に放り出された後、必死の情報収集により、
バスが経由するコンソという村までミニバスで行けば、
そこでこのバスが拾ってもらえるかもしれないらしい。
コンソから先の5時間は検問が少ないということだった。
それならと、ミニバスに飛び乗り、まずはコンソへ向かうことになった。
こんなに大変だとは・・・
コンソまでは二時間半くらい。
いちいち言わないが、バスの中は常に満員御礼で、足を伸ばせるスペースがない。
ずっとお尻の半分だけがシートに載っているだけの状態はひどかった。
朝おろされたバスに乗せてもらうため、
賄賂を150(750円)ブル払った。
しかも席は通路におかれたポリタンク。
くそ高いのはわかっていたが、ジンカへ行くために選択の余地はなかった。
そこからはほぼ未舗装の道を6時間くらい走った。
途中、いろんな民族の村を通るのも面白かったり、
周りのエチオピア人たちとワイワイ話しながら楽しかった。やっぱり皆日本人に対して好意的。
赤いバスに乗って、 ジンカを目指す。 |
イエメンやエチオピアではチャットという、 覚醒作用のある葉っぱをかんでいる人がたくさんいる。 試してみたが、何も起こらなかった。 |
ポリタンクに座らされた6時間。 長い。 |
車窓から、明らかに民族やろって人を たくさん見ることができます。 |
そして着いた目的地ジンカ。
エチオピアは、首都アディスアベバ以外、都市という言葉に似合うような規模の街はない。
観光客が立ち寄る街ですら、村というのが適切だろう。
国土のほとんどが、サバンナ風の荒野でその中に集落が存在する。
そしてエチオピア南部には、たくさんの少数民族が現存し、その人たちが現れるマーケットここにはあるのだ。
特に強烈なのは、ムルシ族。
女性は耳たぶと唇にやたら大きな穴を開けて、皿を入れている。
ランクルをチャーターして、その村を直接訪れることもできる。民族はもう、外国人観光客に慣れていてそれを商売にしている。
近寄ると「フォト、フォト」と言い、腕をつかんでくるほどらしい。
第一、人の生活や文化は確かにおもしろいが、見世物になってはいけない。見世物になるということは、写真をとってお金を払うということだ。ツーリスティックで、好きになれないのはわかっていたが、これを省くとほかにエチオピアですることがないので、ジンカまできた。
断っても勝手にガイドしてくる子どもにマーケット内部へ導かれる。
インパクトはすごいよ。さすがこれだけ移動してきただけあって、アフリカの色とりどりの衣装を着た民族って感じの人がたくさんいた。
ムルシ族がいるよと言って、ある家の中に誘われた。
入ってみると、皿をはめていないムルシの女性とその夫が。
写真を撮れとしつこいのでとる。一回3ブルだという。
正直別に写真を撮りたくはなかった。
カメラ一台で撮り終わって3ブルを払うと一人3ブルで6ブルだと、言い始め
話が違うし払わないと言うと、夫が暴れ始めた。無視しようとすると、現地語で何かを言いながら通すまいと、さらに暴れる。
気味が悪かった。
それは僕が今まで見た中で、一番野蛮で、醜いものだった。
差別するわけじゃない。
自分たちの伝統を守り続けてきた民族は立派だと思う。
けれどある日、文明から来た車が自分たちの姿を面白がり写真をとり、やがて毎日来るようになった。
それまで自ずと完結していた彼らの世界の輪に、外との比較のもとで穴が開く。
写真を撮られることで、お金を得られることを知った。
貨幣や物質的なものに心を奪われ、常軌を逸する目つきをしていた。
その文化を見世物にし、貨幣を得なければ生きにくくなったのかもしれない。
日本人が和服を捨てて、利便性を求めたように、彼らもまたその独特の文化を捨てる日も近いんじゃないか。
彼らをこんな風にさせたのは、紛れもなく豊かな世界から来たツーリストたちだ。わざわざこんな秘境まで来て面白がって写真に撮り、人に見せる。そこにふれあいがなければただの見世物にすぎないのに。
その見世物は醜かったが、それを面白がってこんなに遠くまで来ている自分たちが何より一番醜いに違いなかった。
民族マーケットの迫力は満点。 |
ゆうたさんとワンブルが口ぐせの二人。 |
次の日の朝、国境の町、モヤレへ立つことにした。
朝5時にまた集合する。
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