2011年2月12日土曜日

2.11 ブログ中断のお知らせ

元からここんとこブログさぼってたやんけ!
ってツッコまれそうですが。

ブログがひと時どうしても書けなかったのは、
カンボジアのキリングフィールド、トゥールスレン博物館、ベトナム戦争証跡博物館
と目を疑うような悲惨な事実を立て続けに巡ったために、
またかつてアウシュビッツに行った後と同じように、数日寝込んじゃったからです。

僕はああいう恐ろしい場所に行くと、
その時は気づかないのに、実はボディブローのように自分の中に
何かが刻まれて、それで寝込んじゃうみたいなんです。

でもまたいい出会いがあって、すくわれたり。
そのことも、アメリカ横断のことも必ず書きます!
おっさんになって、忘れてしまわないうちに・・・。

さて僕は今ずっと来たかった国、ネパールにやってまいりました!!
首都カトマンズに昨日到着。



色んな人に話を聞いて、
小説を読んで、旅をしていてやっぱり自分は自然が大好きなんだと知ってから、
世界のどこにいても、思いを馳せていた特別な場所。

地球で最も高くそびえる神々の山。

あんまり楽しみにしていたので、カトマンズにいるだけでも感極まりそうでしたw



この国での目的は、唯一つ。

ずばりエベレストトレッキングです。

エベレスト付近において、
登山とトレッキングが厳密に区別されます。

頂上を含めた6000m以上に踏み入ると「登山」となり、
大規模な登山隊を組んだり、許可だけでも数百万円かかります。

ですが6000m以下ではトレッキングとされ、
許可証1470Rs、国立公園入場料2000Rsで併せて4000円くらいで
トレッキングができるんです。


そして、神々が棲むといわれる世界最高峰の頂をトレッキングの許可で限界まで近寄って間近で見に行くわけです。

目指すは、エベレストを真西から望む

カラ・パタール
――5545m。


カトマンズからバスで行ける最後の村、ジリから歩き始め
村から村へ歩き続け、その日程なんと3週間。

お金がないし没頭していたいので、ガイドもポーターも雇わず(普通は危ないのでガイド付けます)に、単独で。
普通は飛行機を使うような部分も、1週間かけてわざわざ歩きます。
頼りは地図とコンパスと、雪で埋もれない限り存在するというルートを示す積み石。
体はどうしようもなくなまってます。

これ以上不安要素書くとこわいな・・・


ボリビアでたった4400mの標高の街で、高山病でぶっ倒れた経験や、
今エベレストが一年で一番寒い厳冬期であること、
そして独りであることを考えると、
なかなか危険の伴う冒険になるかもしれません。

毎日7時間も歩いて、風呂にも入れないし、飯も十分食えないし、
苦行になることは目に見えてます。


でもこんなに楽しみなのはなぜだろうか!
おぉエベレストよ!
旅ですれた心を、こんなにも熱く高めてくれるものが、
なにか他にあるだろうか?

たぶん、厳冬期である以外は、このルートを行く人はままいるみたいだし、
別にすごいってわけでもないのだが、
僕にとっては初めてで、へっぽこの自分にはとっても大きな挑戦なのだ!!



昨日の夕方カトマンズに着いたばかりの僕は、
今日一日でエベレストに関する粗方の情報を集め、登山用品のレンタル、
食料の買い込み、許可証の申請など終わらせました。

そして明日出発という神速です。

街であったこども。

カトマンズの雰囲気たまりません。
インドより上品やし。

最近、日本に帰る日が近づくにつれて、
これから帰ったらどんな風に生活しようかと、考える時間が増えています。
あんまり集中できてないんですね。

正直旅に飽きてきたのもきっとあると思います。
旅人という、生産性のないポジションに少し疲れたというのもね。

でも本当はそう深く考える必要などぜんぜんなくて、もっとシンプルに、
山に自分をぶつけて、登って、前へ、前へ。

それでいいんです。


3月からはチベットに入国できないことがわかったので、
ネパールで僕の旅は最後になると思います。

これまで色々な人に支えられてこんな素敵な旅ができました。
まだ残り一ヶ月もあるけどね。

感謝と祈りをもって、最高峰の麓を頑張って歩いて来ようと思います!
これが終わったら日本に帰りますよ。

持ち物広げてみた。
-20℃の寝袋、厚手のダウンジャケットレンタル。
節約のためにインスタントラーメン10個、お菓子多数。
10kgはあるね。


1週間後に通過する大きい村でネットができるらしいので、
そこでまた何か書けるかも知れません!応援メッセージどしどし待ってます!!
(んなもん来たことありませんが)
帰ったらいついつ会おうや!
とか
最近どうしてるでー!
とか
ずっと前から能見くんが好きでした!

みたいなんも待ってます。

アドレスはこっち。
hidetomo.noumi@gmail.com

日本で使っていたiphoneのアドレスに送ってくれても、
僕の父親に届くだけですヨ。笑


そんな感じですかな。


されば也。

2011年2月9日水曜日

1.15~16

1.15

朝から自転車で陽朔の町を散策。

僕が滞在していた期間は毎日、霧が出て、雲はどんよりって感じだったが、
独特の山の景観を見るには悪くない。

朝飯はそろそろ飽きてきた桂林名物ビーフンを食って出発。

ちゃりんこはぼろいが、道は結構いい。

出発ー。


水墨画描けそう。

橋から。

草食む馬。

なんか洞窟のツアーみたいなんに行きました。

猿飼いのおっちゃん。
一回撮ると10元を隠し撮り。

時間が止まった夜の忙しい屋台街。

ハッピーブッダこと、弥勒菩薩。
僕はハスの花のペンダントを20元で購入。


明日はやっとル江下り行ってきますー。


1.16

Xing Ping という、陽朔からさかのぼった街にバスで一時間。

そこからル江をさかのぼるボートツアーなわけです。

このXing Pingという街は陽朔や桂林なんかよりももっと昔の街って感じで、楽しかった。
ここに泊まればよかったと少し後悔。

Xing Ping。
川沿いの石造りの街。
川で、何か生物の死体を洗ってました。

ここからが20元の挿絵らしいです。

こういう小型の船に乗っていきます。

わーい。

そろそろ飽きてきたでしょう。

恥ずかしい。

されるがままに担がされる。
鵜飼のおっちゃん。
ボートは風が強くて、凍えるかと思いました。
アルパカのニット帽もタジタジなわけです。


桂林の山々は神秘的で、来てよかったと思いました。
両親の来た30年前とは変わってるでしょうか?

観光客の半分くらいは中国系の人たちでした。

僕は小型の筏みたいなので川をさかのぼったのですが、
桂林から来た大型のボートや、他の筏がひっきりなしに往来していたので、
当時よりもせわしないかもしれません。


でも、中国一押しのこの観光地はなかなかのもんでした。

宿の家族の子どもティナちゃん。
とってもいい表情で笑う。

持ってる卵ボーロがなくなるまでの小一時間くらい
手で食べさてくれ続ける。
鼻に入れたやつも食べさせられた。

僕はこの翌日のバスで南寧に向かい、そこからベトナムへの国境へと抜けることになります。
お世話になったかおりさんともお別れ。

中国は飯もうまいし、宿代も安いし、もっと開拓したい。

また中国語も少し勉強して戻ってこよう。

1.14


ブログつけてたの、忘れかけてましたw

僕は今バンコクにいます。とっても暑いです。
今まで暑すぎるというところにあんまり行った記憶(エジプト以外)がないので、
なんか疲れます。

泊まってるのはバックパッカーの聖地とも言われるカオサン通り。
32カ国目で訪れたわけですが、
ヒッピー風の白人に合わせた場所で、別段どうということがありません。

ものすごく汚くてまあ、大阪のアメ村みたいな雰囲気があります。
カオサン。

それより泊まっている120バーツのシングルの部屋に窓がなく
朝の4時くらいにやっと部屋の気温が冷めてくるまで寝られず、
どうしようもないので、外をぶらぶらしたり、それにも飽きるとパソコンでソリティア。

それとパソコンで見た黒澤監督の「生きる」が面白かった。クロサワさんはまりそう。

最近、日本に帰ったら何しようかナァなんて考えてる瞬間が多くなっています。
これではいかんので、そういうもんは山に滅して来ようということで。

今日はバンコク交際空港に泊まって、明朝カトマンズに飛びます。
旅も終わりに近づいていますな。
インド、ダージリン経由の陸路もいいのですが、ビザ申請に時間がかかるために
今回はインドは敬遠しときます。

えーっとなんでしたっけな。中国の桂林か。

朝早起きして、懐中電灯片手に山に登るが、霧でぜんぜん日の出見えなかった。
宿に帰って昼間で寝る。ぐーたら。

もういろんな意味でサムかた。
ビバーク後のお馬さん

昼下がりに龍脊を立ったのだが、
ル江という川を桂林から南に87km下った陽朔という街には、
いったん桂林に帰り、そこからバスを乗り継がなければならないみたいだった。

陽朔の街は、ル江下りの終着地である。

着いて見あげた瞬間、けっこうびっくりする。

桂林では少し中心から離れないと見えなかった厳かな山々が、すぐそばにあるからだ。

ところどころライトアップされていた。
ぬっとね。

ぬぬっとね。
西街といういかした通りは、ガンガン音楽を外にまで垂れ流したクラブが並び、
軒先で中国人が客引きの若者が踊っているぐらいで、中をのぞくとガラガラだ。

またイタリアンのレストランやカフェも並び、物価が高いのでいらっとするが、
ローカルレストランはやっぱり安いもんだ。
西街。

よく通ったおばちゃんのところ。
チャオメン。


ユースホステルに泊まった。
エアコンなし。お湯もたまにしか出なかった。


この日は基本移動で、書く事がないので最近を写真で振り返ろ。



スーダンの女性。
南部独立しちゃいましたね。

ベトナム。
わからんか。

ベトナムのメコン川で獲れた魚。

ベトナムで一人寂しくパンをかじっていると
横に見つけた貯金箱。
なんか悲しくなった。

雨の都フエはずっとシトシト。
サイクルリクシャーから。
アメリカで買った2代目パックカバーが重宝。

これぞベトナムのおばあちゃん。

行ってきたアンコールワット。
日の出。

行ってきたピョンヤン。
喜び組の演舞。
ピョンヤンっていうレストラン。
北朝鮮経営のね。

ぶたさん達の悲しい泣き声がきこえました。
書いてもらった。

かわいいなーベトナムにて。