3月9日だった。
日本は卒業シーズンだ。
何かが終わって、また始まる季節。
旅に出て7ヶ月半が経った。
色んなことがあった。
何があったっけ?
なぜか、うまく思い出せなかった。
思い出せるのは、直近の、ヒマラヤのことだけだ。
9日深夜に旅でできた二人の友達によってカトマンズの空港まで見送られ、
泣きそうになったがこらえた。
カトマンズで、旅の終わりに、迷惑なくらいの素晴らしい出会いがあった。
胸をかきむしられて、あとをひかれるやんけ。
二人の旅はまだカトマンズから次から次へ地球儀の上を広がっていくのだ。
僕もまだ旅を続けるような気持ちで、次の街へ向けて飛んだ。
気持ちのコントロールがうまくいかない。
別に荒れてるわけじゃない。
でもさあ、行くぞっていう感じでもない。
もっと竹を割ったような気持ちになると思っていた。
ことさら悲しいわけでも、ことさら嬉しいわけでも、
不安なわけでも、自信に満ちているわけでもない。
相対する想念のあいだにさえ区切りがない、アナログな気持ちが、
どの部分がこぼれてくるでもなく、胸の中にわだかまっていた。
とにかく自分の旅はこれで終わる。
中国の広州を経由して、4時間後、島国の上空を飛んでいた。
これからその上に着陸する。
この旅で10回は飛行機に乗った。
上空から、色んな国を見た。
僕がこのとき見たのはその中で
いっちばん緑が豊かで、山と川がたくさんあって、
優しくて、きれかった。
ここが日本。
関空に着いた。
迎えはいなかった。
ポンチョにマハラジャパンツで、道行く人に避けられている気がした。
それにしても、皆、上品だ。
いい服を着ていて、手鼻をかまない。
化粧が濃い。女の顔は皆一緒に見えた。
余ったドルを日本円に換えた。
日本の紙幣が妙にかっこよく見える。
一人で関空快速に乗った。
大阪駅まで1160円だ。高いな。
外は3月にしては寒いな。
車窓からふつふつと懐かしさが沸いてくる。
みかんの樹が民家の庭先に見える。梅が控えめに咲いているのも。
そういえばネパールにも、梅咲いてたな。
関空周辺の空。 |
空がきれいだった。
日本の春の空は、低くて雲に手が届くみたい。
そういうことあんま知らなかったな。
青い空を見ると、山のことを思い出す。
あの景色。
日本の街はどこも穏やかだった。
まるで、昨日までのひっちゃかめっちゃかした旅が、長い夢みたいだ。
これがもし夢オチやったら、それはそれですごいな。
途中、電車が自分の通っていた大学の横を不意に通ったので驚いた。
そういえば、この路線やったか。
大学にさえ入れば、役柄をもらえたみたいで、安心感があるものだが、
今は大学という響きが妙に権威的に聞こえたりする。
べつにアウトローを気取りたいわけじゃない。
車内は年寄りが多い。
日本の年寄りは世界一元気だ。
発展途上国なんかはバス移動でも大変だから、なかなか70歳のじーさんばーさんは、
こんなに出かけられない。
というか、多くはもっと早くに病気でなくなるか。
江坂からは歩きだ。
旅で常に履き続けた靴はボロボロで、親指がもう少しで見えそうだ。
もう少しやぞ。
江坂から自宅までの小道は懐かしかった。
懐かしいが興奮はしなかった。
7ヶ月ぶりに日本に帰ってきて、有頂天にならない自分に驚いていた。
家に着いた。
インターホンを鳴らすとおとんが出た。
今日は仕事が昼までだ。
家族が皆そろうので木曜日に帰ってきた。
おとんが迎えてくれた。相変わらず落ち着いた感じだった。
本当は息子が帰ってきて嬉しいはずだ。
おねえは、夜勤明けで疲れて寝ていて、寝ぼけながらおかえりと言った。
「ただいま」
帰ってきたぞ。俺は。
しばらくおとんと話した。
おとんに聞いた。
一緒に住んでいるおばあちゃんが、大腿骨の骨折で入院しているという!!
去年秋にも鎖骨を骨折していて治ったばっかりだったのに、
1月、またばあちゃんは小曽根の街で転んだらしい。
以上のことは旅をしている僕に心配をかけたくないということで、秘密だったようだ。
今更聞かされるほうがまじで心配で、ショックやったけど、
話から察するにどうやら、大丈夫そうだ。
もう人工関節を入れる手術も終えており、歩けるようになってきているって。
ほんまよかった。
バックパックを置いて、姉のチャリですぐに服部の病院へ向かう。
ポンチョは病院には着ていかなかった。
ズボンも探したが、破れたGパンしかなかった。
急げ。
多分僕との再会を一番楽しみにしているのは、
おばあちゃんっ子の孫をもつ、
孫っ子のおばあちゃんに違いないのだ。
旅の最中もブログを真面目に書いていたのは、おばあちゃんが楽しみにしていると聞いていたからだ。
病院にはおかんがいた。
おかんの表情からは、一年分、息子のことを案じたあとの安堵感が見てとれた。
ばあちゃんの部屋に入った。
僕があまりにも、日に焼けているのと、雰囲気が変わっているので驚いていたが、
すぐに元気に話してくれた。
たくさん話した。
一時間以上。
おばあちゃんは全然変わってなかった。
病院の夕食を食べているときに僕が入ったもんだから、
途中で胸がいっぱいになって食べられなくなった。
なので、遠慮なく僕が食べた。
帰国後初めて食べた日本食は、
病院食の白米と、がんもどきだった。
涙が出るくらい旨かった。
作ってくれた人にお礼が言いたくなるくらい。
お門違いか。
おばあちゃんは元気だった。
よかった。リハビリほんま頑張って。
ほんではようち帰ってきてくれ。
またすぐ会いに行こう。
もうこけんなよ、なあ、ばあちゃん!!!!
寂しいだろうに強がって、早くご飯たべてきぃと、
僕とおかんを送り出した。
帰ったら、今度は、ほんとの夕食。
刺身にとんかつ。野菜。
親父とアサヒを飲んでタバコ吸って、旅のことを、感じたことをお互い話した。
話は終わらなかった。
チュクンリで遭難して、もう死ぬと思った話。
トレッキングした話。
友達の話。
風呂にはいった。垢がすげぇ。
怖かったので、お湯を入れ替えた。
自宅はwi-fi free、ホットシャワー、浴槽有り、
布団有、こたつ有、
宿泊費無料の最強のアジアの安宿。
皆ほんまに心配してくれてたみたいだ。
家族ってええな。
心配かけてごめんなさい。
僕の心はこれでもかってくらい安らいだ。
でも、今は逆に家にいるせいで興奮していて寝られない。
もーいろんなことが頭をよぎる。
日本のことも、旅のことも。
あいつどうしてるかとか、
ブログかかなとか、
部活がどうやとか、
お土産買うの忘れてたとか。
まあ、とりま落ち着け。
そしてまたおかんに話す。
ああ、
楽しかった。
きれいやった。
最高やった。
ほんで、俺ちゃんと帰ってきたで。
ちゃんと医者なるからな。
それから、ばーちゃんもうこけんなよ。
いろいろ書きましたが、
僕は帰国しました。
大阪に、この先、当分滞在することになりそうです。
まだ、自分が旅している気がします。
ですが感傷にひたっている場合ではないです!
さて、そんなことよりヒマラヤ編書かんとなぁ。
青い空を見ると、山のことを思い出す。
あの景色。
日本の街はどこも穏やかだった。
まるで、昨日までのひっちゃかめっちゃかした旅が、長い夢みたいだ。
これがもし夢オチやったら、それはそれですごいな。
途中、電車が自分の通っていた大学の横を不意に通ったので驚いた。
そういえば、この路線やったか。
大学にさえ入れば、役柄をもらえたみたいで、安心感があるものだが、
今は大学という響きが妙に権威的に聞こえたりする。
べつにアウトローを気取りたいわけじゃない。
そっから地下鉄に乗り換えた。
そこのおにいさん、見てんじゃねーぞ。
なんか雰囲気がぬるい。
梅田で乗り換えて、御堂筋。
変わってないな。
車内は年寄りが多い。
日本の年寄りは世界一元気だ。
発展途上国なんかはバス移動でも大変だから、なかなか70歳のじーさんばーさんは、
こんなに出かけられない。
というか、多くはもっと早くに病気でなくなるか。
江坂からは歩きだ。
旅で常に履き続けた靴はボロボロで、親指がもう少しで見えそうだ。
もう少しやぞ。
江坂から自宅までの小道は懐かしかった。
懐かしいが興奮はしなかった。
7ヶ月ぶりに日本に帰ってきて、有頂天にならない自分に驚いていた。
家に着いた。
インターホンを鳴らすとおとんが出た。
今日は仕事が昼までだ。
家族が皆そろうので木曜日に帰ってきた。
おとんが迎えてくれた。相変わらず落ち着いた感じだった。
本当は息子が帰ってきて嬉しいはずだ。
おねえは、夜勤明けで疲れて寝ていて、寝ぼけながらおかえりと言った。
「ただいま」
帰ってきたぞ。俺は。
しばらくおとんと話した。
おとんに聞いた。
一緒に住んでいるおばあちゃんが、大腿骨の骨折で入院しているという!!
去年秋にも鎖骨を骨折していて治ったばっかりだったのに、
1月、またばあちゃんは小曽根の街で転んだらしい。
以上のことは旅をしている僕に心配をかけたくないということで、秘密だったようだ。
今更聞かされるほうがまじで心配で、ショックやったけど、
話から察するにどうやら、大丈夫そうだ。
もう人工関節を入れる手術も終えており、歩けるようになってきているって。
ほんまよかった。
バックパックを置いて、姉のチャリですぐに服部の病院へ向かう。
ポンチョは病院には着ていかなかった。
ズボンも探したが、破れたGパンしかなかった。
急げ。
多分僕との再会を一番楽しみにしているのは、
おばあちゃんっ子の孫をもつ、
孫っ子のおばあちゃんに違いないのだ。
旅の最中もブログを真面目に書いていたのは、おばあちゃんが楽しみにしていると聞いていたからだ。
病院にはおかんがいた。
おかんの表情からは、一年分、息子のことを案じたあとの安堵感が見てとれた。
ばあちゃんの部屋に入った。
僕があまりにも、日に焼けているのと、雰囲気が変わっているので驚いていたが、
すぐに元気に話してくれた。
楽しかった。
きれいやった。
最高やった。
そんで、俺ちゃんと帰ってきたよ。
たくさん話した。
一時間以上。
おばあちゃんは全然変わってなかった。
病院の夕食を食べているときに僕が入ったもんだから、
途中で胸がいっぱいになって食べられなくなった。
なので、遠慮なく僕が食べた。
帰国後初めて食べた日本食は、
病院食の白米と、がんもどきだった。
めっちゃええ顔で笑ってくれた。 |
涙が出るくらい旨かった。
作ってくれた人にお礼が言いたくなるくらい。
お門違いか。
おばあちゃんは元気だった。
よかった。リハビリほんま頑張って。
ほんではようち帰ってきてくれ。
またすぐ会いに行こう。
もうこけんなよ、なあ、ばあちゃん!!!!
寂しいだろうに強がって、早くご飯たべてきぃと、
僕とおかんを送り出した。
帰ったら、今度は、ほんとの夕食。
刺身にとんかつ。野菜。
親父とアサヒを飲んでタバコ吸って、旅のことを、感じたことをお互い話した。
話は終わらなかった。
チュクンリで遭難して、もう死ぬと思った話。
トレッキングした話。
友達の話。
風呂にはいった。垢がすげぇ。
怖かったので、お湯を入れ替えた。
自宅はwi-fi free、ホットシャワー、浴槽有り、
布団有、こたつ有、
宿泊費無料の最強のアジアの安宿。
皆ほんまに心配してくれてたみたいだ。
家族ってええな。
心配かけてごめんなさい。
僕の心はこれでもかってくらい安らいだ。
でも、今は逆に家にいるせいで興奮していて寝られない。
もーいろんなことが頭をよぎる。
日本のことも、旅のことも。
あいつどうしてるかとか、
ブログかかなとか、
部活がどうやとか、
お土産買うの忘れてたとか。
まあ、とりま落ち着け。
そしてまたおかんに話す。
ああ、
楽しかった。
きれいやった。
最高やった。
ほんで、俺ちゃんと帰ってきたで。
ちゃんと医者なるからな。
それから、ばーちゃんもうこけんなよ。
いろいろ書きましたが、
僕は帰国しました。
大阪に、この先、当分滞在することになりそうです。
まだ、自分が旅している気がします。
ですが感傷にひたっている場合ではないです!
さて、そんなことよりヒマラヤ編書かんとなぁ。